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トップページ > インタビュー > 『同窓会』サタケミキオ監督 インタビュー

サタケミキオ監督 インタビュー

2008-08-12 更新

監督業は初めてなので戸惑うこともありましたが、もう1本撮りたいなと思っています

同窓会

サタケミキオ監督

1970年東京生まれ。1997年に劇団「東京セレソン」を設立、主宰兼役者として活動を開始。2001年には「東京セレソンデラックス」と改名、作家・演出も担当するようになる。脚本家としては、2005年に「アタックNO.1」(テレビ朝日系)で注目を集め、その後担当した「花より男子」「花より男子2」(共にTBS系)がヒット、2008年夏には『花より男子~ファイナル~』として映画化されこちらも大ヒットを記録する。役者としても、宅間孝行の名前で『新選組!』(NHK)、『タイガー&ドラゴン』(TBS系)、『鹿男あをによし』(フジテレビ系)、『バッシュメント』(映画)などで活躍。TBSラジオではパーソナリティを務める『サタケミキオと宅間孝行』、フジテレビではMCを務める「映画の達人Filmania」が放送中。初の書き下ろし小説、『同窓会』の原作本「愛について考えてみないか」(講談社刊)が発売中。

配給:エスピーオー
8月16日(土)より、シネマート新宿他にて全国ロードショー!

 劇団「東京セレソンデラックス」での活動や「花より男子」シリーズの脚本家としてマルチな活躍を続けているサタケミキオが、初めて脚本・監督・主演を兼務した映画『同窓会』が完成した。永作博美を相手役に選び、高校時代のマドンナと結婚した映画プロデューサーが直面した離婚から始まる物語を描いた本作は、一見シンプルな構成だがサタケらしい捻りのきいたストーリーの作品だ。初めて体験した映画の現場での苦労や本作の見どころについて、サタケに聞いてみた。

本作で、監督・脚本・主演をやろうと思ったきっかけは?

 実は、僕自身にそういう希望があったのかなかったのかは別として、全て後付で決まったことです。まずオリジナルの脚本1本の発注があり、その脚本が出来上がった時点で、僕は劇団を持っていますから演出の経験もあるので、監督として撮ってみないかという話になりました。この時にはそこまでの座組で、僕がやった南 克之役も別の役者さんにお願いする話だったのですが、諸々の問題があり、この映画の話が止まってしまいました。年を越し、どうしてもこれを映画にしたいという情熱のある人たちの働きかけによってもう一度企画が立ち上がりましたが、その時には僕が監督をやるという条件が残った上で、「どうせなら、主演もやったらどうか?」という提案があり、それなら主役もやらせてもらいましょうということになったわけです。

最初にこの映画の脚本を書かれたのはいつ頃ですか?

 「花より男子」の後なので、2006年の初めですね。2005年の10月クールで「花より男子」の脚本が急遽決まりました。ちょうどこの映画に取りかかるはずだったのですが、頼まれて断れず、結局映画の方が延ばし延ばしになってしまい、「花より男子」が終わるとすぐに書きました。

この映画以前に、脚本家としてのみ映画に携わっている時には、映画監督とはどのような仕事だと思いましたか?

 端から見ていたり脚本の打ち合わせをする時には、脚本家の立場からするとある意味では一番近い存在でしたし、役者として参加すれば現場では頼りにしている存在です。クリエイティブの面で背負っていることが多く、全てを背負わないといけない部分がありますが、舞台で演出をしていたので、そういう部分では方法論は多少違うとはいえ基本的にやるべきことは一緒なのではないかと思っていました。映画監督というものに対する特別な思い入れがあったわけではないですし、職業としての映画監督に憧れていることは全くなかったですね。

プレス資料には、“映画監督をやって役者は楽だと気がついた”と書かれていますが、実際に映画監督をやられて、苦労したことや予想外だったことはありますか?

 まず初めてだったので、今思うと気負いすぎたことはあります。この後、テレビで1本撮らせてもらいましたが、その時にはだいぶ楽でした。周囲の人間関係もありましたね。とにかくスタッフは初めてご一緒する人ばかりで、全員がウチの劇団(東京セレソンデラックス)の芝居も見たことがないような状態でした。その点、役者は皆ウチの芝居を見ていたので、コミュニケーションはとりやすかったのですが。事前に、監督をやる時には助監督さんかカメラマンさんのどちらかはすごく親しい人、何でも言える人と組まないとなかなか大変だよと何回も言われていましたが、まさにそういう状況でした。この時は2人(助監督とカメラマン)とも初めての人だったので、ある意味、大変といえば大変でした。

自分でカット割りを決めて、カメラの前に立って演技をして、その後でまたモニターを覗いて、自分で編集をするわけですが、想像しただけでもてんてこ舞いだったのだと思います。撮影当時、実際にはどんな感じでしたか?

 今ならもう少し楽にできそうな気がしますが、最初はどこにいたらいいのか判らなかったですね。何となく張りつめているところもあったので、そこは預けっぱなしでも良いよという部分もよく判っていなかったです。だから、ひたすら気を張っていて、ずっと何かやっているみたいな。その上役者もやっているのですから、役者としての待ち時間にはずっと監督の仕事をして、自分の出番を演じ、また監督をやって。時間的に休む暇が全然なかった。今だったら、自分の中で抜きどころがもう少し判るのではないかと思いますが、そういう意味でも座組というのはすごく大事なんだなと気がつきました。

逆に、もし今からもう一度できるとしたら、どのようにしますか?

 とにかく、監督としてはスタッフをどう集めるかでほぼ決まりなんですね。信頼関係の確立しているスタッフと意思疎通ができれば、ある程度任せてしまっても良いんだなということがよく判りました。もちろん、皆でディスカッションするにしても、最終的には全部にジャッジして、全てを決めなければいけないのですが、任せられる、そうでないのならこうしたいといえば、そういう風にしてくれる。ただそれだけのことですが、そうすればディレクターズチェアでずっとタバコでも吸っていられる気がします。タバコは止めましたが(笑)。

以前、サッカーの中田英寿が、「監督は誰だって良いんだ。試合がスタートしたらどう動くかを決めるのは選手だから、監督はそれほど意味がないんだ」と言っていましたが、その話と似ていますね。

 試合が始まってしまったら、試合が始まるまでの考え方を活かし浸透させることが大事だと思います。ただし、舞台はまさに始まってしまえば役者のものですが、映画には編集もあるじゃないですか? 編集の技術はすごいんだなと実感しました。編集で助けられているなと思いましたね。

この映画で演じられた売れっ子映画プロデューサーの南 克之は、日頃から接点のある業界にいる役どころですが、周囲にモデルになるような方がいたのですか?

 所々のディティールではあるかと思いますが、それはないですね。実際リアルなところでいくと、プロデューサーはあんな家には住まないだろうというのはずっとありましたが(笑)。でも、映画のプロデューサーなんていう職業は、実際には良い家なんて持てないよという夢のないことを描くのもどうかと。やはり、この映画を観た人たちが、映画のプロデューサーってこんな素敵なお家に住めるんだって思ってもらえてなんぼじゃないかって(笑)。そういうところで小さな嘘はいっぱいついたりはしています。

観終わった後にちょっと幸福になったような気分が残る作品でしたが、このストーリーはどのようなきっかけで思いついたのですか?

 ありがたいことに、今までウチの劇団で何本か公演をやってきましたが、それを映像化しませんかという話もいろいろ頂いています。でも、中には映像化することはないだろうというような内容のものもありますが、だからといって決して悪い作品ではなく、それをそのまま映画やテレビドラマにすることはないだろうというような作品です。もしかしたら、僕が今まで書いた作品の中では出来の悪い子供なのかもしれませんが、僕自身は決して出来が悪いとは思っていないので、この映画にそいつのエッセンスを入れたというか、そこから発想しました。そのままオリジナルではないのですが、似たような発想です。落ちも全然違うのですが、最初の着想はその作品から始まっています。

出演者の方言やキャラクターが印象的でしたが、なぜ長崎を舞台にされたのですか?

 まず、この作品の発注の際に、「同窓会をテーマにしたい」という条件ひとつだけがありました。そうなると当然、どこかの高校の同窓会ですよね? そこで、話としてはとある地方と東京という構図になりました。とある地方という設定にしたのは、本当はどこでも良かったからです。ただし、距離が多少あったほうが良いな、あまり東京から近くないほうが良いと思いました。言葉については、東京と馴染みが薄いほうが地方感を出せるかなということもあります。最近、ウチの劇団で上演した『夕』も長崎の話です。この芝居は5年前に初演しましたが、その前年には全編地方の言葉を使った芝居を上演し、この作品は長崎弁で、その翌年の公演は『歌姫』という土佐弁の作品です。このように、以前から方言が作る世界観が面白いなと考えていましたが、『夕』で馴染みのある方言だったので、今回の映画では舞台を長崎にしたわけです。最初に一度企画が立ち上がった段階では、違う地方撮影することで進めていました。結局それがストップし制作体制が変わったので、じゃあ元に戻そうということで、長崎に戻しました。でも、どうしても長崎でないといけないという理由はないですね。もし熊本のフィルムコミッションが積極的に語りかけてくれたら舞台は熊本になったかもしれないですし、ちょっとしたきっかけでそういうことは決まると思います。結果としては長崎弁で良かったなと思っていますが、長崎というよりも九州弁ですかね。九州の言葉で良かったと思います。

同級生のキャラクターは、自分の同級生を参考にしたりしましたか?

 ウチの劇団で芝居をする時には割といろいろなキャラクターを作っているのですが、その流れで、僕の芝居によく登場するお約束キャラが多いかなという感じです。

永作さんの演技にはキュンときましたが、共演されての印象は?

 永作さんとは年が同じですが、とてもさっぱりしている人なので付き合いやすいですね。酒が好きだし、あまり、女優さん、女優さんという構えた感じがないので。以前からウチの劇団の芝居を観に来てくれていたので、そういう点でも非常にやりやすかったというか。永作さんにやってもらって良かったなと思います。他の出演者は、鈴木砂羽さんと二階堂智さん以外、当時のウチの劇団のメンバーです。

高校時代のシーンでは当時の懐かしい商品などがたくさん出てきましたが、特に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の兵藤ゆきさんには驚きました。兵藤さんには監督が出演交渉に行かれたのですか?

 僕はこの映画で演じた南 克之と同じ年代ですが、この番組はとても人気があったので高校生時代によく見ていました。ですから、あのようなディティールを作った時にゆき姐にやってもらいたいなと思いました。実は、この映画のキャスティングに関して、僕が「この役は絶対にこの人!」といったことは一度もないんです。例外はゆき姐だけ。他の方は、オファーしてやってくれるのなら、ぜひということで。当時、ゆき姐はニューヨークに住んでいて、しかも息子さんの卒業式とNHKの中継がこの映画の撮影と重なり、拘束期間が2日しかありませんでした。駄目かもしれないという可能性もあったので、高田純次さんや島崎俊郎さんにお願いするという代替え案もあったのですが、出来ればゆき姐でいきたいと。でも、老けていたら嫌だなと思ったのですが、お会いしたら当時のままだったんですね。びっくりしました。すぐに快諾していただき、かなりハードな日程の中で、島原まで来ていただきました。台詞は決まっていたのですが、「放送していた当時、そのままでやってください」とお願いして自由にやってもらい、その様子をそのまま撮って、後で編集しました。割と長回しのシーンを撮り、それをチェックするモニターを見ていたら、ゆき姐が「本当に、これ、『元気が出るテレビ!!』のままだね!」と言っていました。面白かったですね。

番組放送当時のエピソードは何か聞きましたか?

 この撮影がきっかけとなり、ゆき姐とえらく仲良くなりまして、その後はけっこう良いお付き合いをさせていただいています。今は日本に帰ってきて、日本で活動しています。「元気が出るテレビ!!」の放送当時の話はいろいろ聞きましたね。あの頃の高田純次さんは「元気が出るテレビ!!」に出ていてもけっこう生活が苦しかった、そんな話もしていました。

この映画では脚本・監督・役者をやりましたが、それぞれの仕事で気に入っているところはありますか?

 監督業に関しては初めてなのでいろいろ戸惑うこともありましたが、もう1本撮りたいなと思っています。カメラマンの小松原茂さんは今村組などでもやってきたおもしろいおっちゃんなのですが、ものを作ることに関してはすごいんですよね。僕が意思の疎通が上手くできていなくて、最終的な編集の段階で、実はある素材を使ってこういうことがやりたかったんだと判ったら、実景を撮るために島原まで追加撮影に行ってくれたんですよ。そういうのはとてもありがたかったし、映画というのは情熱がある人が集まって作っているんだなと思いましたが、お金にはならないですね。そのことを実感しました。監督に関しては至らないところも多々あったと思いますが、それでもいちおうはこの作品に参加してくれて良かったと、役者さんにもスタッフさんにも思ってもらいたいですね。編集では本当にやりたいことをやらせてもらいましたが、最終的には編集作業こそこだわるべきところはかもしれないと感じました。
役者はやはりやりづらいですね。時間がなかなかないんですよ。この時間には終わらないといけないという時に、他人だったら「もう1回!」と言えても、自分の芝居だとなかなか言いづらいところがあり、「まぁ、良いか」と思ってOKを出してしまう。自分の芝居には甘くなるところがあったので、次回にチャンスがあるとすれば、そこに余裕を持てるようになりたいなと思いました。
脚本に関しては、別にどうでも良いです(笑)。根本的に、あまり書きたくはないので。なるべく書かないで生きていけたらなと思っています。

本編を観ていてテレビドラマを見ているような気持ちになったのですが、映像の作り方や見せ方をあえてドラマっぽくしたのですか? あるいは、意識しないでそのようになったのですか?

 意識していないです。それは残念な意見かもしれませんね。スタッフの皆さんは映画の現場の人たちですが、もしかしたら僕がやった編集がテレビドラマ寄りだったのかなということはあります。ただ、いろいろな作品を観ても、恐らく映画っぽさをあえて意識してやっている作品は、あまりうまくいっていないような気がします。この場面を面白く見せるためには、この役者を何か面白く見せるためには、という方法論を突き詰めた最終的な形として、できあがったものがドラマっぽくなってしまったということなのかなとは思うのですが。

でも、新しい形で面白かったのですが……。

 本当ですか? テレビの脚本を書いていたことがあるので、後からテレビっぽいと思われたくないなと思いました。撮影している時には映画っぽく撮ろうとは全く意識していないのですが。そうですね、テレビっぽく思われたくないと思いました……。でも、テレビドラマを撮った時には、演劇っぽいと言われたくないなと思っていましたけれど(笑)。

ファクトリー・ティータイム

言いにくいことや上手くいかなかったことについても、率直に語ってくれたサタケミキオ。人気のマルチクリエーターながら気取ったところがない人柄は、観客のみならず役者をはじめ多くの人たちを惹き付ける理由のひとつだろう。初めての監督作品でいろいろなことを学んだ様子。ぜひ次回作を期待したい。
(文・写真:Kei Hirai)


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