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トップページ > インタビュー > 『どこに行くの?』松井良彦監督 単独インタビュー

松井良彦監督 単独インタビュー

2008-02-29 更新

いびつに見える関係でも、好きになってしまったらラブ・ストーリーは始まるのです

どこに行くの?

松井良彦監督

1956年生まれ。75年、映画製作集団“狂映舎”の設立に参加。79年、『狂い咲きサンダ‐ロード』(80)をはじめ、石井聰亙監督作品のスタッフを務める。79年にホモセクシュアルの三角関係を描いた処女作『錆びた缶空』を完成させ、ぴあ誌主催のオフシアター・フィルム・フェスティヴァル(現PFF)に入賞。一部に熱狂的なファンを持つ、いわば“カルト・ムーヴィー”の草分け的存在となる。続く第二作『豚鶏心中』(81)は故・寺山修司氏の天井桟敷館で長期ロードショーを果たした。そして、脚本段階で「映画になったら事件だね」と故・寺山修司に言わしめた第三作『追悼のざわめき』(88)は、今はなき中野武蔵野ホール(2004年5月閉館)史上最も多くの観客を動員。当時、数ヵ国の映画祭に出品が決定していたにもかかわらず、その全てで上映禁止となるも、10年後の98年には、ドイツやデンマーク、ノルウェイの7都市で上映をされ、好評を博す。同作は07年9月、デジタルリマスター版として、シアターイメージフォーラムなどで、再度全国公開された。

配給:バイオタイド
3月1日(土)よりユーロスペースにてレイトショーほか全国順次公開
(C)2007「どこに行くの?」製作委員会

 伝説のカルト・ムービー『追悼のざわめき』から22年、あの松井良彦監督の待望の新作がついに完成した。本作『どこに行くの?』は、性的なトラウマを抱えた孤独なホモ・セクシャルの青年が美しいニューハーフと出会い、残酷な運命に抗うかのように激しく互いを求め合う初恋、そして純愛の物語。50代になった監督が新たな境地を開いた本作と映画創りへの想いについて、たっぷり話を聞いた。

-----『追悼のざわめき』がついにDVDで発売されましたね。しかも木箱で。

 (笑)そうですね。これを見たときには、本当に安売りしなくて良かったなと思いました。ここまできっちりと作ってくださって。ありがたいです。
 またうれしかったのが、サントラで上田 現くんの曲を入れられたことです。当初はいろいろな権利関係があって難しかったんですが、結局それもクリアできました。ドキュメンタリーも1時間くらい入っています。主役をやった佐野(和宏)くんが、仲井(まみ子)さんと一緒にロケ場所を訪ね歩くという内容です。

-----『追悼のざわめき』は今度、香港でも上映されるそうですが、行かれるのですか?

 行きません。新作の脚本に専念します。今度創りたいのは原作ものでして、その作品のことばかり考える生活にしたいので、旧作の動きに関しては、どうしても僕が出なくちゃいけないときだけ行くことにして、後はずっと家にこもってやっています。

-----観客は監督に質問したいことがたくさんあるでしょうね。海外のジャーナリストからも問い合わせがあるとか?

 ええ、フランスのジャーナリストから近々質問票が送られてくることになっています。彼は『錆びた缶空』から『追悼のざわめき』まで観ていて、日本のアート・シーンについて書くつもりだそうで、映画では僕の作品について特集したいと言うんです。で、どんな映画作家に関心を持っているんだろうと思って彼のサイトを見たら、園 子温君とか若松孝二さんとか、そういった傾向でしたね。あと、『追悼のざわめき』は今度、ドイツのハンブルクで上映される予定ですが、どうもヨーロッパのアンダーグラウンド系、アート系好きにはたまらない映画になっているみたいです。ありがたい話です。

-----今作『どこに行くの?』は22年ぶりの監督作ということで、どうしてそこまで時間がかかってしまったのですか?

 『追悼のざわめき』が完成しまして、その後いろいろな話を頂きました。『追悼のざわめき』の流れの映画を求められたんですが、ただ僕自身は、ああいう世界は『追悼のざわめき』で描ききった感があったので訣別しまして、その頃僕は、東京・月島のおじいちゃんとおばあちゃんが主人公で、何の事件も起こらず、天気の話をしていたり、近所の誰それが見合いをしたとか、そういう淡々とした流れの中で人の孤独感を描きたいなと思っていました。何の事件も起こらず淡々とした描写の中で人の孤独や切なさを描くのは、小津安二郎さんや成瀬巳喜男さんくらいの力量がないと出来ないんですね。そんな意味でも、僕自身ステップアップしたいという気持ちをこめて、そういう世界観のある脚本を考えたんですけど、やはり地味だということで、世のプロデューサーの方々と僕の想いが一致しませんでした。かといって、来る企画には乗りきれず、結局、「また機会があれば」という話を繰り返していたら、いつの間にか22年経ってしまったという(笑)。決してサボっていたわけじゃないんですよ(笑)。

 そういう状況にありましたが、今回はプロデューサーの小林洋一くんが「まずは『追悼のざわめき』をDVDにしたい。出すからにはやはりヒットさせたいので、新作も絡めたい。予算はあまりないけど、好きなものを撮って下さい」と言ってくれました。その言葉がすごくうれしくて、創りたいなと思ったんですね。「好きなものを撮って下さい」という言葉はそれくらいうれしかったんですよ。

 それから2ヵ月くらい脚本の時間をもらいました。そのときに一番興味を持っていたのがニューハーフだったので、偏見の中でずっと生きてきた20代のニューハーフと、ちょっと社会問題化していたことですが、孤児院から養子になった少年が義父の性的虐待を受けて殺人事件に発展したニュースを耳にしまして、そうした境遇にあった青年を絡ませたらドラマが始まると思ったんです。偏見の中で生きてきて、まともな恋愛をしていない二人がちょっとしたきっかけで出会って初めて恋をし、やっとまともな恋愛を経験することになるわけです。ホモ・セクシャルとニューハーフの恋愛は世の中から見るといびつかもしれませんが、本人たちにとっては性別が何であるかはどうでもよくて、好きになってしまったらラブ・ストーリーは始まるんです。この初恋が成就するのかしないのかは、観る人それぞれの捉え方でいいな、と思いました。これを2ヵ月かけて脚本にしたわけです。

-----書いているうちに、ニューハーフの子ではなく、青年のほうが中心になっていったのですか?

 自然とそうなりましたね。毎日脚本を書きながら、あるいは現場に入っても、登場人物たちがどうやったら魅力的になるかということばかり考えていたんです。その中で、ホモ・セクシャルの青年のほうに自然と色をつけていく流れが出来てきました。ですから、脚本も少し変わっていきましたね。台詞も脚本の半分くらいになりましたし、それに伴って肉体的な動きも変わりましたし、違うロケ場所を選んだりもしました。とにかく、さまざまな状況に置かれたときに一番魅力的なのは何なのかを常に考えながら、それに応じて変えていきました。

-----柏原収史さんも、少なくとも私が拝見した中では一番美しく屈折した雰囲気が魅力的で、良い演技をされていましたね。

 あ、ほんと? よかった(笑)。それは柏原くん、喜ぶと思うわ。彼も今回の映画に出演したことをとても喜んでくれていて、よく電話をもらうんですけど、「またビデオを見直してるんです。友達にも見せまくってます」と言うんで、「見せるのはいいんやけど、映画館にも行ってもらってくれよ」と頼んでますわ(笑)。

-----佐野さんの役はアテ書きかなと思ったのですが?

 いやいや、それが違うんですよ。佐野くん、最初の予定は変態社長役だったんです。でも、助監督と初めて読み合わせをしていたとき、助監(督)の粂田君が「この福田刑事は佐野さんですよね? さすが松さん、分かってますね。言い回しも佐野さんらしいですよ」と……(笑)。「いや、社長役を佐野くんに考えてる」と答えると、「そうなんですか?」と。それから、いろいろ考えている時に、当初刑事役に決まっていた俳優さんのスケジュールが合わなくなったこともあり、また佐野くんの刑事役を考えて脚本を練っていた時でもあり、それで佐野くんに刑事役を任せました。

-----今回も純愛ものだと思いますが、若く美しい二人を取り巻く人々の行為も、愛されないが故にいびつに見えたり、エスカレートしたりしているものの、彼らなりの純愛表現なのではないでしょうか。

 ええ、それは最初の『錆びた缶空』から『追悼のざわめき』までもがそうで、世の中から見たら、いびつで変態的な恋愛かもしれないけど、当事者にとってはそんなことどうでも良くて、異性であろうが同性であろうが、物体であろうが、好きになったらラブ・ストーリーが始まります。今回もそうで、トラウマを背負ってホモ・セクシュアルになっちゃった男と、偏見の中で生きてきたニューハーフが初めて人の優しい心や恋を知って恋愛をするわけです。刑事や社長に関しても、彼らなりの純愛なのかもしれません。

-----そして、美しい者が悲劇を招いてしまうというテーマも、監督の物語の中にはある気がします。ところで、ニューハーフのあんずさんとはどのようにして出会われたのですか?

 ロンドンブーツがやっている『ザ・ベストハウス123』(フジテレビ系列・水曜21時)という番組の中で、札幌から福岡まで美しいニューハーフを探すという企画があって、新宿で彼女が出たんですよ。でもスタジオには呼ばれなくて、スタジオには誰が見ても「わぁ~、きれい!」という人ばかりでした。ただ僕は、そちらには全く触手が動かなくて、あんずさんを見て“この子、いいなぁ……”と(笑)。それで会ったら、台本も読んでいないのに「出ます」と言ってくれたんですね。相手は柏原収史というと、彼女は大好きだったみたいで大喜びしてました(笑)。

-----なるほど、二人が一緒にいるところはすごく自然に見えました。

 ええ。そのためには準備段階で、一緒に植物園に行ったんですよ。で、はじめ柏原くんにその話をしたら、「え? そこにはどういう狙いが?」と聞かれました(笑)。僕はとにかく、コミュニケーションをもとうと思ったわけです。「3人で植物園に行って、くだらない話から有益な話まで一緒にしよう。植物園を一周し終わったら、売店で映画の小道具であるひな菊を買おう。そして、そのひな菊をあんずさんにプレゼントしよう。そうしたら、映画に使われるひな菊だから、彼女は雑草が生えたら抜くだろうし、毎日水をあげたり栄養剤を与えるだろう。“これは小道具ですよ”といきなり渡されるよりも、気持ちが入っているから、それを持つ仕草だとか見つめる視線も変わってくるでしょ?」という話をしました。そしたら柏原くんは、「それ面白いですね。やりましょう」と乗ってくれましたね。そんなわけで、3人で一緒にぶらぶらして、近所の深大寺でそばを食べて、そこでいろいろな話をしたんです。

 その後も、二人にはメール交換をはじめ、毎日のように何らかの形でコミュニケーションをとってくれと頼みました。柏原くんは本当に律儀な子で、毎日電話かメールをしてくれましたし、たまに3人で居酒屋に行くこともありました。というのは、あんずさんがいつもどんな状況にあってもどこか緊張していたので、それを和らげるためにもコミュニケーションを取ろうとしたんです。自分をさらけだして、正直にしゃべろうという話をしました。そうすることで、監督が1言ったら、5か6は分かってくれるという状況に仕向けたんです。単なる現場だけの付き合いだったら、1言ったら0か1しか伝わらないことも、普段のコミュニケーションがあれば、「監督はこう言ったけれど、さらにこうしなければいけない」とそれぞれが分かってくれるので、そういうことを準備期間中は再三しましたね。スタッフと同じくらい、柏原くんやあんずさんともよく話をしました。それであんずさんも、最初は丁寧に説明しなければいけませんでしたが、撮影3日目、4日目くらいから僕がちょっと言っただけでのみ込んでくれるようになりました。「分かるよね?」「はい」という感じでいけましたね。そうなるには普段の付き合いが大切だったので、柏原くんにも力を貸してもらいました。それは、僕にとっても楽しいことでしたね。全く苦になりませんでした。

 あんずさんのこともだんだん分かってきました。当初、“この人、偏見の中で生きてこなかったよね!? ニューハーフであることをエンジョイしてるよ”と思えるくらいの人でしたが、その後、徐々に、その道で彼女はプロフェッショナルだと、あえて見せないようにしているんだなぁと分かってきましたね。素敵な女性です。僕たちの前では楽しいことばかり話していました。彼女は体を全部変えていて、髭も永久脱毛したそうです。

-----あんずさんが大事そうに持っていたひな菊はそういう経緯があったのですね? まるで骨壷を抱いているように見えました。

 彼女がひな菊を抱いているのは、赤ん坊を抱くときに使うベビースリングなんですよ。骨壷を抱いているように見えましたか? あぁ、白かったですしね。そうですか。ありがとう。

-----ええ、あのように、いくつか純粋なものの象徴が出てきますよね? 水もそうだと思いますが。

 そうですね。水は純粋、あるいは不安定さを表しています。いつもたゆたゆとしていて。上田 現くんのエンディング曲も「水の記憶」です。はじめは、「背の記憶」というタイトルを考えていたんですよ。というのは、『追悼のざわめき』もそうですが、映画を観終わった後にノスタルジーに浸れるような曲にしたかったからです。僕はいつも音楽をやってくれる人に、「昔、お母ちゃんの背中で子守歌を聞いたような雰囲気のある曲を作ってほしい」と言っています。そんなわけで上田くんは、背中をイメージしてこの曲を作ってくれました。だから当初、「背の記憶」だったんですが、ちょっとしっくりこなくて二人で話をして、「この映画で象徴的な存在は、水と花だよね」ということで、タイトルを「水の記憶」にしたんです。

-----今回は血の色が“鮮血”という感じでしたが、わざとそうされたのですか?

 ええ、あれは『追悼のざわめき』でも特殊メイクをやってくれた松井祐一くんに宿題を出したんですよ。「血と脳みそが溶け合ったら何色? 赤と白だからピンクになるのかな?」と。それで、彼がいろいろと試してくれた結果、豆腐とチーズとトコロテンとポスターカラーを混ぜて、あれになったんです。

-----あと、車やバイクで走っているときに、バックから撮っているシーンが3回出てきたのが印象的でした。

 不法投棄場から去るところがそうですね。その後、高速道路に入っていくところ。それほど深い意味はないんですけど、去っていくという無常観、寂しさを出したいなと思いました。バイクに乗っているときも、福田刑事が待っているカラオケボックス、嫌な所にこれから行くんだなという思いが反映された負のイメージとして使いました。

-----監督のカメラワークはものすごく計算し尽くされていますよね。

 ありがとうございます。僕は基本的に、クランクイン前には全部の絵コンテを描くんですよ。オープニングからエンディングまでのカット割りを。今回は101シーンです。それはもう、絵が浮かんでくるんですね。それで役者の動きもカメラワークも決まってくるわけです。最低限それを撮れば編集は出来ますから。もちろん、日々考えているので、その時のベストのものを書き加えたり、削ったりします。スタッフからのいいアイデアがあればそれを使いますし、常にどうすれば、より魅力的になるかを考えていますね。そう、現場に行くと気象条件によってカメラ・アングルは変わりますしね。

 本当に映画が好きだったら、本来は全部自分でやりたいはずなんですよ。ただ、僕はカメラマンの腕がありませんから、だったらイメージを絵コンテで描こうと。出来るだけ自分の思う世界にしたいんです。そのためには脚本を書いてカット割りを描いて、スタッフと喧々諤々(けんけんがくがく)やります。楽をしようと思えばいくらでも手は抜けるんですよ。でも、それだったら作品を創っている意味がありませんからね。

-----監督は映画という手段を使って、どういうことを伝えたいと考えていらっしゃいますか?

 僕は人と出会うために映画を撮っています。人と出会うためには正直でいないといけません。『錆びた缶空』は20代の松井で、『追悼のざわめき』は30代の松井で、現在は50代の松井で、その時々に感じた世の中に対する怒りや悲しみだとか、逆に素晴らしいことや美しいと感じたことをこれまで描いてきました。それをお客さんに観ていただいたときには、そっぽを向く方もいれば共感してくれる方もいます。とにかく、それをずっと続けていたら、人との出会いの機会がもてます。一人でも多くの方に会いたいんですよ。自分の作品に共感してくれる方に一人でも多く会えればそれに越したことはないですし、もちろん、反感をもった方とも出会うことがあります。そのときには“ああ、こういう考え方の人もいるんだ。勉強になるな”と思うのもいいことですし、とにかく人と出会うことが大好きなんですよ。映画を通して正直な僕を見てほしいという、ただそれだけですね。

-----監督は「どこに行くの?」と聞かれたら、何と答えますか?

 「風に聞いてくれよ」と……(笑)。今日この後、京都に帰るつもりですけど、分からないものね。外に出て、誰かにばったり会って「ああ、久しぶり! 飲もうか」ということになって、結局“今日はもう事務所に泊まろ”となるかもしれないし、だからといって、次の日帰るかどうかも分からないもの。

-----ふらりとどこかへ行ってしまいたいという思いはありますか?

 今はないですね。とにかく、かみさんが喜んでいる顔を見るのが一番好きなんで。だから、一日も早く京都に帰りたいです。

-----いいですね~、そういう連れ合いを持ちたいものです(笑)。(宣伝部さんのあざ笑う顔を見て)そこ、笑うところじゃないし(笑)。……というわけで、これから映画をご覧になる方々に向けて、一言お願いいたします。

 『追悼のざわめき』までは20~30代の松井でした。表現がエネルギッシュですごく激しかったり、逆にめちゃくちゃ美しかったりと、緩急のついた映画を撮っていました。でも、それがそのときの真正直な表現方法でした。で、50代になって多少丸みが出ました。違った形で世の中への怒りや悲しみ、美しいものや素晴らしいことを映画で表現しました。それをご覧になって、“30代の松井は良かった。50代の松井はあかんな”と思われたら、それはそれでしょうがないですし、逆に“今のもいい”と思っていただけたらそれはそれでうれしいです。とにかく、22年ぶりの映画で、新人の監督のような気持ちで創りました。ぜひ、映画館に足を運んでください。で、率直な感想を聴かせていただけたらうれしいです。どうも、おおきに。

ファクトリー・ティータイム

昨年8月に『追悼のざわめき』のインタビューをさせていただいて以来となる松井監督との再会。作品のテイストは変わっても、映画作りに対する深い想いと実直なまでのこだわりはやっぱり松井監督。お話を伺うたびにあらためて、私自身の立場からの映画に対する向き合い方について考えさせられる。
それにしても、映画とは関係ないが、「かみさんが喜んでいる顔を見るのが一番好き」の一言には降参! こんなことを言ってもらえる奥様が羨ましい!……的感想を述べたら、横に座っていた宣伝部さんに鼻で笑われたのは何故!?
(文・写真:Maori Matsuura)


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