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アンジェラ・マオ 単独インタビュー

2007-12-28 更新

これだけ多くの方々が私のことを覚えていて下さったことが判り、胸がいっぱいになって涙が自然に出てきました

アンジェラ・マオ

アンジェラ・マオ(芽瑛Angela Mao Ying)

1950年台湾生まれ。ゴールデン・ハーベスト社の設立時から“嘉禾三大玉女”と呼ばれた同社を代表する3人の女クンフー・スターのひとりとして活躍。1970年にオーディションに合格し、翌71年『アンジェラ・マオ8人のドラゴン/天龍八将』で映画デビュー。73年『燃えよドラゴン』でブルース・リーの妹役で登場し、世界的な注目を浴びる。結婚後は映画界を引退し、現在はニューヨークでレストランを経営。今回の来日は33年ぶりであると共に、引退後初の映画界復帰となった。

 かつて世界的大ヒット作『燃えよドラゴン』でブルース・リーの妹役を演じ、一躍ブレイクした女性クンフースター、アンジェラ・マオが来日した。今回の来日は、『アンジェラ・マオ 女活殺拳』を上映する東京フィルメックスへの参加と、1月から発売されるDVD用コメント収録などのため。30年以上映画界から遠ざかっていたアンジェラ・マオに、香港クンフー映画黄金期の貴重な話を聞いた。

-----芸能界から身を退かれてだいぶ時間が経っていますが、今回来日しようと思った理由は何ですか?

 ひとことで言うと、日本の皆さんとのご縁だと思います。これまでも、「映画に出演しませんか?」とか「インタビューを受けませんか?」といったオファーをいろいろな方から頂きましたが、全てお断りしてきました。でも、今回のお話だけは、聞いた瞬間に行くべきだと感じたわけです。

-----そして、日本に来てみると多くのファンの皆さんが待っていたわけですが、今回の来日の印象はいかがですか?

 来日は5回目になりますが、日本に来る度に素晴らしい思い出を持ち帰ることが出来ました。とりわけ、今回は映画界から遠ざかってから30年以上経っていますが、再び映画の仕事で東京に帰ってきたのです。東京フィルメックスでのトークイベントや舞台挨拶では、登壇した瞬間にこれだけの方々が私のことをまだ覚えていて下さったことが判り、胸がいっぱいになり、涙が自然に出てきました。ただただ、ありがとうのひとことにつきます。

-----最初に芸能界に入ったきっかけは?

 6歳の頃に京劇の専門学校に入学し、ずっと舞台での演技を学んできました。私の父親も京劇についての造詣が深かったのですが、父の友人で台湾の有名な劇作家の知り合いに、香港の有名な映画監督であるファン・フェンさんがいました。ファン・フェン監督がオーディションのために台湾に来た時に、その劇作家の方から私の父に、「お嬢さんを受けさせてみないか?」という連絡が入ったのです。そして、このオーディションがきっかけとなり、映画界入りしたのです。

-----ということは、芸能界デビューは故郷の台湾ではなく香港でということになりますが、言葉や文化の違いで苦労されたことはありますか?

 香港へはひとりで行きましたが、もちろん言葉は通じません。ただ、周囲のスタッフには優しい方が多く、特に衣装担当の年輩の女性の皆さんにとても可愛がってもらいました。そういった人たちのおかげで、広東語や映画に関する基礎的な技術について一生懸命勉強できましたし、その甲斐あってすぐに香港に慣れることができました。

-----香港での最初のお仕事は?

 最初に出演したのは『鬼怒川(きどがわ)』という映画です。台湾で行われたオーディションに合格し、撮影も1/3ぐらいは台湾で行い、残りは香港に戻って撮りました。

-----その後、ゴールデン・ハーベストの新人オーディションに合格するわけですが、同社の設立当初からのメンバーだったのですか?

 私とノラ・ミャオ、マリア・イーの3人が、ゴールデン・ハーベスト社第一世代の役者です。

-----当時のゴールデン・ハーベスト社の雰囲気は、それまでの香港の芸能界とは違いましたか?

 新人で一人前になっていなかった当時の私には、会社全体の雰囲気はよく判りませんでしたが、非常に将来性のある会社であることは皆が感じていました。単身で香港に渡り、初めて家族と離ればなれの生活を体験しましたが、そんな私に課せられた目標はたったひとつだけ、与えられた仕事に全力を傾けることです。そして、私自身も、自分の役に全力投入し最高の演技でお返ししたいと思っていました。

-----香港芸能界の古い体質から皆さんを守って下さったとも聞いていますか?

 確かにそういう部分もあったと思います。ゴールデン・ハーベストを設立したレイモンド・チョウさんはショウ・ブラザーズから独立した方ですが、独立することにより古巣のショウ・ブラザーズが最大のライバルになりました。必ずショウ・ブラザーズを越えたいと思っていたでしょうし、それはごく普通のことだと思います。

-----一番多くの作品に出演されていた頃は、どのぐらい忙しかったのですか?

 香港では2本の作品の撮影を並行して行ったことがありますし、台湾に戻ってからもかなり忙しかったですね。午前中は台北、午後は中部の華蓮で撮影といった日々が、約1ヵ月半続いたことがあります。

-----出演作のお話では避けて通れないブルース・リーさんですが、最初にブルース・リーさんとお会いした時は、どのような状況でしたか?

 ちょうど『アンジェラ・マオ 女活殺拳』を撮影していた時に、ブルース・リーさんがスタジオにやってきました。周囲の人から「見てごらん、ブルース・リーだよ」と言われましたが、以前からブルース・リーさんのファンだったので、ひとりのファンとして遠くから眺めていました。後日判ったことですが、あの日は私のロケ現場を見るために来たのだそうです。当時、『燃えよドラゴン』の妹役を探していたブルース・リーさんは、私を含む3人の新人女優の資料をゴールデン・ハーベストから渡されたそうですが、その中で唯一カンフーが出来た私を自分の目で確認するために、撮影現場まで来たのでした。そして、この日がきっかけとなり、ブルース・リーさんの映画に出演したのです。

-----共演されて、一番印象的だった思い出は?

 あれだけの大スターと共演することになったわけですから、最初はどうしたらいいのか悩んでいましたが、実際に現場で共演してみると、とても優しいお兄さんのような存在でした。演技や武術についてはこだわりを持っていて非常に厳しく指導して下さいましたが、それ以上に周囲のスタッフの面倒を非常によく見て下さいました。特にデビューしたばかりの若い役者には、とても優しく接していました。もちろん、彼の演技やアクションには異議を挟む人はいないでしょうし、私にとっては二度と出会うことが出来ない役者です。印象的な出来事では、『燃えよドラゴン』で自分の後ろに立っている敵に向かって体を回して蹴るシーンがあるのですが、練習をしていた時に偶然私の後ろに立っていたブルース・リーさんを蹴ってしまいました。未だに申し訳ないと思っています。

-----日本のファンから見れば早すぎる引退でしたが、その理由は何ですか?

 女性である以上、結婚し、家庭に尽くすことが責務だと思っています。結婚することは幸福を手に入れることですから、自分の幸福のためにも早めに芸能界から身を退いた方が良いと考えました。

-----大スターなのに、後ろ髪を引かれるような思いはなかったのですか?

 女性にとっては、結婚や出産は避けて通れない道です。一生の伴侶が見つかれば、それまでの輝かしい業績も全て忘れてその人の元に嫁ぎ、その人のために尽くし、その人の子供を作り、家庭を守る。それが私の人生哲学です。

-----引退後のアメリカでの生活でも、ニューヨークのチャイナタウンなどで香港映画を観る機会はあったと思いますが、それらの中でお好きな監督や俳優はいましたか?

 ニューヨークで観ることが出来る香港映画は、大部分が公開後しばらく経った作品です。俳優については、どれだけ演技力があり、与えられた役柄を最大限に表現することができるのか、これが私の判断基準です。そういう意味では、最も注目し尊敬している役者はトニー・レオンさんです。彼の演技を見ると、どんな作品のどんな役でも完全に融け込むことが出来ています。ですから、トニー・レオンさんが出ている映画は、テレビで見る時でもチャンネルを変えずに最後まで見てしまいます。

-----ジャッキー・チェンさんやチャウ・シンチーさんといったアクション俳優の中で、お好きな方がいますか?

 ジャッキー・チェンさんはよく知っていますが、役者というよりは本当の友人で、彼のファンとして見ることが出来ません。彼がここまで成功した背景にはそれだけの努力があったと思いますが、昔はよく一緒に仕事をした仲なので、どうしても役者としてではなく、ひとりの友人として見てしまいます。

-----最後に、東京フィルメックスへの参加、特集上映に続き、主演作品のDVDが続々と日本で発売されますが、久々の来日を温かく迎えてくれたファンの皆さんへのメッセージをお願いします。

 三十数年ぶりに映画関係の仕事をさせていただきましたが、非常に感動しました。日本のファンの皆さんや友人の皆さんがますます健康であるように、万事が順調にいくようにお祈り申し上げます。そして、機会があれば、必ず日本に戻ってきます。

ファクトリー・ティータイム

引退から30年以上も経ったが、話す時には終始相手の目を見つめ、撮影の時のポーズも決まっている。サプライズ・ゲストとしてスクリーンで再会できる日も近いかもしれないが、まずは旧作の数々をぜひDVDでチェックしておきたい。
(文・写真:Kei Hirai)


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