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トップページ > 記者会見 > 『ユゴ~~大統領有故』記者会見

記者会見

2007-12-17 更新

イム・サンス監督、シン・チョル(プロデューサー)

ユゴ~~大統領有故

配給:エスピーオー
12月15日よりシネマート六本木にて先行公開、12月22日よりシネマート心斎橋ほか全国公開
(C)2005 by MK PICTURES

 冷戦時代の韓国の指導者、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が、宴会の席で側近に射殺されてから28年。未だに真相が闇の中にあるこの事件を映画化したのが『ユゴ~大統領有故~』だ。大胆な推理と独裁体制への痛烈な批判に満ちた本作のメガホンを取ったのは、イム・サンス監督。韓国内の世論を二分し、朴大統領の遺族からは上映差し止めの訴訟を求められながら、あえてこの作品を世に送り出した理由を、来日した監督に聞いた。

-----撮影前からその後に起きる数々のトラブルはある程度予想されていたそうですが、それでもこの作品を撮ろうと思った理由は?

イム・サンス監督:製作会社や私は、訴えられること自体は心配していませんでした。なぜかというと、訴えられれば注目を集め、宣伝になるからです。
シン・チョル(プロデューサー):そうは言っても、私の立場からすれば外部からの圧力により撮影を中断せざるを得なくなるといった事態は心配していましたが、幸いそのようなことにはならず、楽しく撮影を終えることが出来ました。ただし、クランクアップ後に、一部のフィルムを削除させられるという忌まわしい事態となりました。

-----この作品を通じて伝えたかったことは?

イム・サンス監督:もちろん、楽しく観ていただきたいと思います。確かに、この映画には政治的、歴史的な背景が含まれていますが、そういったことを知らない方がご覧になっても、例えば暗殺の描写ではヤクザ映画を楽しむように、ある時にはスリラー映画を楽しむように観ていただければと思っています。

-----そのようなエンタテインメント作品として欠かせなかったことは何でしょうか?

イム・サンス監督:私は、1本の映画はいくつもの層で覆われているものだと思います。もちろん、映画を観る時には皮を全て剥がし、中身まで観てほしいと思いますが、皮だけ見てもらっても十分だと考えて作っています。この映画はアクション映画だと思っています。撮影スタイルなどを見ていただくと、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』と似ている部分が少しあるかもしれません。『ゴッドファーザー』という映画は、銃撃シーンなどオリジナリティに溢れていますが、非常に暴力的な描写もありました。私も、この映画ではコッポラに負けないように、残忍な部分は出来るだけ残忍にして暴力性を強調しようと思いましたが、その点では半分ぐらい満足しています。なぜ半分なのかというと、もっと上手く撮れたと思ったシーンがあったからです。どのシーンなのかは、営業秘密ならぬ映画秘密なので伏せておきますが(笑)。
シン・チョル(プロデューサー):そのシーンは私にも判りません。本当に、監督の心の中だけに秘められた秘密だと思います。

-----韓国では、監督の撮られた『懐かしの庭』以外にも、『光州5.18』などこれまでタブーとされていた光州事件を描いた映画が公開されましたが、なぜ民主化されて久しい現在でも朴大統領暗殺事件はタブー視されているのですか? 朴大統領に限らず、大統領の不正を徹底的に糾明すること自体が難しいのですか?

イム・サンス監督:突然、シリアスな質問を頂きましたが、朴正熙(パク・チョンヒ)政権以降、朴正熙の後継者とも言える全斗煥(チョン・ドファン)、盧泰愚(ノ・テウ)の時代を含めると、実質的には30年間にわたり朴正熙政権は続いたことになります。朴正熙の死後も、彼と手を組んで韓国社会の中枢部にいた人たちは生き残り、未だに生きているのです。そういった人たちが、財界やマスコミで力を握っているので、彼らが生きている限り、ご指摘のような題材は簡単に扱えない状態が続くと思います。世界中のタブーには、それを守る人と打ち破る人がいますが、当然のことながら私は後者になります。今回の映画では、タブー中のタブーといえる大統領の頭に銃弾を撃ち込むシーンを描いたので、これからはそれ以外のタブーも描いてほしいと思います。例えば、財閥を攻撃するのは簡単ではないですし、朝鮮日報を批判するのも容易ではありません。社会の大きな組織を批判できないと、自分の周囲のことや故人の関係でも批判できないと思います。例えば、大学の教授がその大学の理事長を批判できないとか、大学生がその大学の教授を批判できないとか、どんどん広がってしまう。それは良くないと思います。
シン・チョル(プロデューサー):そのようなタブーがピラミッド型になっているとしたら、イム・サンス監督は野心を持ってその頂点となる題材を選び、果敢にも映画化したわけです。最上部のタブーを取りあげることにより、全てのタブーを解消したいという試みを目的とされていたのだと思います。
イム・サンス監督:非常に好意的に評価してもらいましたが、同時に危険人物のようですね。今の話は、決して私自身の見方ではありませんから(笑)。
シン・チョル(プロデューサー):はい、私の個人的な意見です。

-----この映画で削除されたシーンには監督の朴正熙大統領に対する考え方が一番良く出ていると思いますが、現在の韓国では朴正熙大統領についてどのように評価されているのでしょうか?

イム・サンス監督:朴正熙大統領について、今の韓国では様々な評価をする人がいます。普通に好きだという人もいれば、崇拝している人もいます。それらは個人の自由なので何とも言えませんが、どんな人で何をしたのかという事実だけはしっかり把握しないといけません。事実を知った上で好き嫌いの評価をするべきだと思いますが、現状では事実が語られないまま好き嫌いが語られているので、その点は問題です。この映画は朴正熙大統領がどのように死んだかを描いているのですが、この映画を通じて朴正熙大統領がどんな人なのか知った上で、好き嫌いを判断していただければと思います。

-----ハン・ソッキュさんやペク・ユンシクさんに、どのような演出をされたのですか?

イム・サンス監督:ペク・ユンシクさんは、年齢から見ても銀行の貯金残高から考えても、かなり保守的な方だとお思いますし、おそらく政治的には“ポスト朴正熙”的な立場だと思います。この映画への出演はかなり悩まれたようですが、「政治のことは判らないですが、この映画のシナリオは素晴らしいので、芸術のために参加したい」と言ってくれました。ペク・ユンシクさんと一緒に撮る度に、私が考えた台詞を口にしてもらうのですが、私が考えたとおりに、あるいはそれ以上に演じてくれた時にはオルガズムを感じるような心地よさでした。ハン・ソッキュさんについては、最初に出てくるペク・ユンシクさんと一緒のシーンを撮った時すごく良かったので、プロデューサーからも「二人のシーンが少なすぎないか?」と言われ、二人が一緒の画面に出てくるシーンを付け加えました。例えば、トイレで会ったシーンや、走り去るペク・ユンシクさんの車をハン・ソッキュさんが追いかけるシーンなどです。

-----韓国での公開時、朴政権時代を知っている世代と全く知らない世代とでは、反応は違ったでしょうか?

イム・サンス監督:この映画は、世代によって、あるいは銀行預金の残高によって、あるいは政治的な立場によっても見方が違いました。この映画を観てまるで自分の姿を見せられたように感じた人たちは、当然のことながらこの映画を憎み、私のことまでも憎んでいました。一方、若い世代の中には、一体この映画のどこまでが事実なのか疑問を持ち、関係する本を読み始めた人がいましたが、そういう姿を見るととても良い気持ちでした。かつて民主化運動や進歩的な運動をやっていた人たちからは、朴正熙大統領はもっと酷く描くべきだと批判もありましたが、その話を聞いた時に、進歩的な人たちの弱点は文化的な素養が足りないところだなと思いました。

-----当時の捜査記録や証言は、簡単に入手できたのですか? それらを読んだ時、どんな印象でしたか?

イム・サンス監督:当時の捜査記録や証言は公開されている資料だったので、すぐに入手できました。朴大統領が暗殺された時、私はまだ10代でしたが、当時からこの事件に関する新しい資料には全て目を通していました。今回、シナリオを書くため多くの資料に目を通しましたが、大部分は既に知っていたほどです。普通はシナリオを書くために資料を調べていると、何らかの新しい発見があるのですが、今回ばかりは本当に辛かったですね。独裁政権側の三流の人間たちの資料を、新しい発見もないのに苛立つぐらい読み続けました。この作業は、本当に辛いものでした。

-----大統領暗殺後の病院や陸軍本部での関係者のやりとりは、証言として残っていたのですか?

イム・サンス監督:これらは、事実に基づいて作りました。事件発生後、陸軍本部に戻った参謀総長の顔を歩哨が知らなかったので、建物に入れないシーンがありますが、事実だったそうです。撃たれた朴大統領と共に秘書室長が病院に行きましたが、大統領専用の治療室に入れてもらえなかったのも事実ですし、当直の将校が担ぎ込まれた人物が誰なのか判らなかったのも事実です。おそらく顔を隠していたからだと思いますが、後ほど来た主治医が胸にある古傷を確認し、ようやく大統領だと確認したそうです。また、死亡が確認されてからだいぶ経っているのにもかかわらず人工呼吸をしたことも、やはり事実だったそうです。大統領を暗殺したKCIA部長を逮捕しようとした参謀総長が拳銃を持っていなかったことも、事実だと確認されています。多くの信じられないような出来事が、事実だったわけですね。

-----大統領を含む年長者が日本語を使ったり日本の歌を聴いたりするシーンが出てきますが、実際に植民地時代に育った世代は、日常生活であのように日本語を使用していたのですか?

イム・サンス監督:あの世代にとってはごく普通の行動で、実際に朴正熙氏は演歌も大好きだったそうです。彼は、60年代に日本を公式訪問した際に日本語で話したことがありますが、そのことが韓国では問題視されたことがあります。このように朴正熙氏は日常的に日本語を使っていましたし、大日本帝国の陸軍士官学校出身でもある彼が、どれほど日本に近い人物なのか、どれほど親日的な人物なのかを象徴的に描こうと思い、日本語のシーンを入れました。朴正熙氏は政権後期になると反日を叫ぶようになりますが、それはあくまでジェスチャーにすぎません。韓国では、低支持率に苦しむ政治家が反日を叫ぶと、危機から脱することが出来るのです。日本でも同じですよね? 政治的指導者たちは、脅威を外に求めることによって危機を乗り切ろうとしますが、こういった手段は政治家たち共通の“いたずら”といえるでしょう。ですから、本心をのぞくと、韓国の人たちは日本が好きだったり、はっきり言うことは恥ずかしがるかもしれませんが日本に憧れています。日韓の間にはいつも問題や葛藤がありますが、日本の人は韓国のことは余り気にせず、アメリカのほうを向いています。日米間には広大な太平洋がありますが、それに比べる非常に近い日韓は、憎み合ったりせずに親しくしないといけない運命にあると思います。これに反するような政治家の動きは、票を獲得したいからなのでしょう。日韓の葛藤は、両国の右派の中の嘘つきの人たち、あるいはお金持ちの欲張りな人たちが原因なのではないでしょうか? 日韓の貧しい人たちの葛藤こそが、本当の葛藤だと思います。

-----朴正熙氏の死去は、韓国人にとって幸いだったのでしょうか? あるいは不幸だったのでしょうか?

イム・サンス監督:まず、私たちは人生に対して、死に対して、謙虚に向き合わないといけません。朴正熙氏本人は、もし自分が死ねば多くの朝鮮半島の人たちに大きな影響を与えることは判っていたでしょうが、自らの死については全く予想していなかったと思います。人間がやっている以上、朴政権のような腐敗政治はいつか終わりますが、問題はその終わり方です。彼の場合には、本当に悲劇的な終わり方をしました。朴大統領が暗殺された日、朝鮮半島が非常に危険な状況に陥ったにも関わらず、一般市民は何も知らされていませんでした。夜間外出禁止令が発令されていたので皆早く家に帰り寝ていましたが、その先の運命は風前の灯火だったのです。それを考えると、私たちは死や生に対してもっと謙虚に向き合わないといけないと思います。

-----この映画について朴大統領の遺族の皆さんが怒るのは当然でしょうが、暗殺の首謀者の遺族の皆さんはどのような反応でしたか?

イム・サンス監督:ハン・ソッキュさんが演じたチュ課長のモデルとなったパク・ソノさんという方がいますが、その人の弟さんがこの映画を観て怒ったと報道されました。弟さんは、「自分の兄はあのように人を罵倒するような人間ではない」と言っていたそうです。その点に関しては、私やハン・ソッキュさんが謝らないといけないと思います。実際にはもっと上品な人だと思いますが、私はあのように描きたいと思いました。ハン・ソッキュさんの考えはちょっと違い、二人の間には描写についての葛藤がありました。いずれにしても、あのように描いたことで申し訳ない気持ちは持っています。ただし、あの日の出来事はとても大切なことなので、映画にしたいと思いました。
シン・チョル(プロデューサー):世界中の監督や作家には、特定の誰かを傷つけようと意図して作品を作る人はひとりもいないと思います。この作品の場合でも、イム・サンス監督も、MKピクチャーズのスタッフも、そしてプロデューサーである私も同じです。この映画の登場人物のキャラクターの描写も、意図的に悪く描こうとか、事実と異なる内容で誰かを傷つけようと思ったのではありません。ただ、事件が事件ということもあり、登場人物には皆公の立場があったので、どうしても表現の対象になってしまったわけです。イム・サンス監督は、出来るだけ客観的な視点で人物を描写しようと努力していました。でも、観る側の人がこちらの意図とは異なる印象を感じて、心に傷を負い不愉快な思いをしたとしたら、心から謝罪するべきだと思います。
イム・サンス監督:これで終わりですが、おまけで言わせてもらいますと、あの日、なぜキム・ジェジュKCIA部長は、大統領を撃ったのか? おそらく、大統領になりたかったら撃ったのだと思います。では、どうやってなろうとしたのか調べてみたのですが、彼は大統領を撃てばアメリカが自分を支援してくれると思っていたようです。映画の中にも「アメリカのことは心配するな」という台詞がありました。この先は未確認情報ですが、当時のカーター政権と対峙する立場にあったグライスティン大佐という方がいましたが、彼は、「韓国は朴政権のままではいけない。民主化を進めるべきだ」とキム・ジェジュさんに言ったそうです。これを聞いたキム・ジェジュさんは「自分が大統領を撃てば、アメリカは喜ぶし、バックアップしてくれる」と思いこんだらしいのです。ところが、後に見つかったグライスティン大佐のメモ書きでは「そのように考えたこともあるが、キム・ジェジュは誤解している」と書いてあったそうです。アメリカとしては朴正熙大統領の死去で混乱が起きることは望んでいませんでしたし、アメリカのシナリオにもその可能性は書かれていませんでした。にもかかわらず、誤解をしたキム・ジェジュさんが先走ってしまったのではないでしょうか?

ファクトリー・ティータイム

右にも左にもぶれることなく、タブー視されていたテーマに挑んだイム・サンス監督。最初から最後まで饒舌に語ってくれたが、まだまだ多くの謎が残る暗殺劇だ。この事件の闇は余りにも深い。
(文・写真:Kei Hirai)


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