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『ハウス・ジャック・ビルト』
トークイベント

2019-06-19 更新

滝本 誠(美術・映画・ミステリ評論家)、小谷元彦(美術家・彫刻家)

ハウス・ジャック・ビルトhousejackbuilty 配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
絶賛公開中!
© HJB2019

 『奇跡の海』、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『アンチクライスト』、『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』といった話題作を世に送り出し、輝かしい受賞歴を誇る一方、あらゆるタブーに切り込みセンセーショナルな反響を巻き起こしてきた鬼才ラース・フォン・トリアー。問題発言によるカンヌ国際映画祭追放処分を受けてから7年。昨年開催された第71回カンヌ国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門で、待望の完全復活を果たした最新作『ハウス・ジャック・ビルト』が絶賛公開中。

 建築家を夢見る一見ごく普通の技師ジャックが、ある出来事をきっかけにアートを創作するかのように殺人に没頭していく姿が描かれていく本作。劇中では幾度となく“芸術”という言葉が飛び交い、デヴィッド・ボウイの名曲『FAME』が鳴り響いたり、“完璧主義者の天才”としてジャックが崇敬してやまないピアニストのグレン・グールドの演奏シーンが挟み込まれたりと、“シリアル・キラーもの”の作品でありながら、アート要素もたっぷりと詰め込まれている。そこで、この度、美術に精通している滝本 誠(美術・映画・ミステリ評論家)と小谷元彦(美術家・彫刻家)の豪華ゲストを迎えて、本作の魅力をアートの視点から語り尽くした! ロマン主義や、ラファエル前派、ヒトラーを交えた分析から、過激なパフォーマンス・アートで世界的に知られ、レディ・ガガが敬愛するマリーナ・アブラモヴィッチの名前まで飛び出し、映画&アートファン垂涎モノの濃厚なトークが繰り広げられた。


 “本作をアートの視点から読み解く”がイベントテーマということもあり、アート好きが足繁く通う定番スポット“代官山蔦屋書店”の一角で開催された本イベント。6月14日(金)に公開を迎えてから初めてのイベントということで、当日は大雨ながらも、会場にはアートに関心のある方々が大勢駆け付けた。いまかいまかと観客が待ちわびるなか、美術・映画・ミステリ評論家の滝本 誠、美術家・彫刻家の小谷元彦が登場し、会場は大きな拍手で二人を出迎えた。それぞれが挨拶をするなか、滝本が「昨日から映画が公開していますが、もう劇場で観た人はいますか?」と観客に尋ねると、集まった観客のほとんどが挙手! トークショーに先立って早くも本編を復習してきた猛者たちを目の前に二人ともホッとした様子を見せ、アットホームな空気のなかイベントはスタートした。

 まずは、映画も大好きという小谷が「僕はトリアー監督がもともとすごく好きなんです。絶望感が強い作家さんでそこが面白いなと思っていて。今回映画の中でデヴィット・ボウイの曲が流れるんですけど、内容が連続殺人鬼ということもあり“アウトサイド”というアルバムを思い出しました。そのアルバムが発売された時期のボウイのインタビューがどこかにあったなと思って引っ張り出してきたのが、1996年の雑誌“BRUTUS”なんですが、ボウイが話していたアーティストのなかにちょうどこの映画と似た要素の方がいたので、何人かピックアップしようと思います。その前に、すごく驚いたことがあったんですが、偶然にもこのインタビューの最後にボウイと滝本さんが2人で映っている写真が載っていたんです! さらにめくってみると、蘇った切り裂きジャックというページもありました(笑)!」と、本題へ移る前にイベントとシンクロした衝撃の出来事を披露。滝本も懐かしさと同時に驚きが隠せない様子を見せ、早速会場は笑いに包まれた。

 続けて、小谷はボウイのインタビュー中に登場したアーティストの話題へ戻り、「まずジョエル・ピーター・ウィトキンという写真家がいるんですが、“死”や“死体”をテーマに作品を撮る作家さんで、映画だと『セブン』(96)にも使われています。彼は、アレキサンダー・マックイーンのファッションショーでもテーマになったりしていて、様々なクリエイターたちに影響を与える作家で、本作でも彼の影響が少しあるのかなと感じました。また、ボウイが話している中でヘルマン・ニッチェというアーティストも結構出てくるんですが、彼は動物の死骸などを使って宗教儀式的なものを表すようなパフォーマンスをする方。こういう80~90年代の彼らの過激なアートと連続殺人鬼の猟奇的な部分をリンクさせたという点が本作にはあるのかなと思いました」と、本作と同じ時代背景にあった作家性の傾向から、本作との共通点を指摘した。ラース・フォン・トリアーの作品を鑑賞するだけでなく、映画評論や寄稿なども手掛けてきた滝本は、小谷の分析に「確かに、そういう見方もあるね」と、大きくうなずいた。

 次に滝本が本作に登場する大鎌のシーンと、オスカー・マーティン=アモールバッハによる絵画“Harvest”も共通点のひとつとしてあげ、「これはナチスを推奨する作品が展示される美術展にあった絵なのですが、この鎌の長さ、鎌を担いでいる男の子の異様な怒り顔、そしてこのファミリーは幸せとはとても思えない。しかも、女性と子どもは裸足なんですよ。これを見た瞬間恐怖しか感じないんですよね。本作では農民が大鎌でザクっと草を刈る場面がいかにも幸せそうに描かれていますが、僕は恐怖以外の何物でもないと思いました」と、劇中で唯一あたたかなトーンで描かれるシーンも、ある絵画の風景と重ねてみると、恐怖の一場面へと見方が180度変わることを明かした。

 滝本の絵画の話を聞いた小谷は、劇中にゴーギャンのタヒチ時代の絵画が差し込まれていることに触れ、「ゴーギャンの絵画には、“我々はもともと誰なのか”とか、“どこから来て、どこへ行くのか”という哲学があるのですが、本作でもその哲学がベースとなり、“ジャックは何者で、どこへ向かうのか”という疑問を示唆していたように感じました。また、劇中ではウィリアム・ブレイクという作家の“ネブカドネザル”という絵も一瞬だけ出てきますが、ブレイクって映画に引用されることが多いんですよね。『レッド・ドラゴン』(03)でも象徴的に使われていました。特にブレイクの幼少期の原始体験とか、作品を通して人間の獣的な側面を象徴しているような部分は、本作はもちろん、トリアーの映画に全般的に表現されているように感じます。さらに、僕としては、トリアーの映像表現って宗教の三連画に近いと思っているんです。と言うのも、三連画とは三枚の絵で一つの絵として完成されているものなんですが、トリアーの作品にも、いろいろな映像がパッパッパと、まるで三連画のように差し込まれているシーンがあるんです。でもトリアーの映像は一つひとつ見るとそれぞれの空間が狂っているんですよ。トリアーのキリスト教の美術に対するアンチ的な部分が織り交ざってこういう表現になっているのかなと思いましたね」と、劇中に登場する画家とトリアー監督との結びつきを推測した。

 続けて、小谷は絵画の歴史にも話題を移し、「トリアー作品の全体を貫いている世界観って、ロマン主義だと思うんですよ。ロマン主義の説明の定型文は“古典主義や教条主義がしばしば無視した個人の根本的独自性の重視、自我の欲求による実存的不安といった特性である。ロマン主義においては、それまで古典主義において軽視されてきたエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢などといった題材が好まれた。またそれまで教条主義によって抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的な愛情などを大きく扱った”ということで、そのまんまトリアーなんですよね(笑)。そして、ロマン主義といえば、本作のビジュアルでも使われているドラクロワなんです。ちなみに先ほど話したブレイクもそう。トリアーが影響を受けている画家のなかで、一番肝なのはカスパル・ダーヴィト・フリードリヒだと僕は思っていて、ロマン主義のなかではかなり重要な扱いを受けていて、破壊的なロマンティックを感じる作品が多い方なんですが、なんとヒトラーもこの方が好きなんですよ(笑)。この作家を劇中に用いることによって、実はヒトラーの話をしているような繋がりはありますよね。あと、僕が映画を観てすぐに感じたのは、本作はダンテの『神曲』の話だということ。ダンテの『神曲』と言えば、オーギュスト・ロダンの“地獄の門”ですよね。実を言うと、あの作品は、最後の最後まで、何にも終わっていなくて、未完成なんですよ。しかも“地獄の門をくぐるときは一切の希望を捨てよ”というキーワードがあって、まさに本作の根幹に響いていると思うんです。37年間、制作が上手くいかなくて終わってしまったロダンの過程と、劇中で描かれる主人公ジャックの過程はかなり似ている部分があると思います」と熱弁。見事、監督の撮影スタイルを絵画の目線から紐解き、さらには監督がカンヌ国際映画祭を追放された原因でもあるヒトラーを絡めたトークに、観客は前のめりに。

 絵画に続き、美術の視点から監督を読み解く話に話題が飛ぶと、小谷は「トリアーに似ている美術家って、男性の作家にはいなくて、絶対に女性の作家なんですよ。一番近いと思ったのは、マリーナ・アブラモヴィッチ。かなり過激なパフォーマンスを行う方なんですが、アブラモヴィッチのパフォーマンスと、トリアーのエグみや作品に共通して出てくる被虐と可虐の関係というのは、象徴的に似ていると思いますね」と明かした。その後、小谷がアブラモヴィッチのパフォーマンス動画を会場に流すと、あまりの過激さに観客は驚愕し、中にはスクリーンから目を離してしまう方も。しかし、すでに映画本編を鑑賞済の観客の方々は、映画の内容とパフォーマンス動画に共通点を感じ取ったようで、納得や共感の声も沸いた。

 話が尽きないなか、時間も終わりに近づき、最後に観客が質問出来ることに。

 「ロダンは“地獄の門”を最後まで完成させることが出来ませんでしたし、むしろ“未完成の美しさ”を追求するアーティストでもありましたが、ジャックが建築家になる夢を叶えられずに技師のままで終わってしまう展開も、ロダンの言う“未完成の美しさ”と同様に、祝福を受けるような崇高なものとして捉える見方があると思いますか?」と問われると、小谷は「未完成の作品というのは、世の中には割とあるんです。ロダンは未完成だと思われていないんですよ。むしろ、失敗のモニュメントと言われているんです。ロダンだけでなく、ミケランジェロも未完成の作品というのは結構残っているんですよ。そういった物に対して本人は、未完成だと思っていると思うんですけど、不思議なことに未完成の物を見ている鑑賞者が勝手に崇高な理念にあげてしまうことはあり得るんですよね。本作に対しては、そういった概念で使っているのではないと思っています。ただ、未完成なもの=欠落した完成品として考えることは出来るので、みんながそこにイメージを乗せやすいように、あえてそのように演出したのかなということは感じられますね」と答えた。


housejackbuilt


(オフィシャル素材提供)



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