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『母よ、』オフィシャル・インタビュー

2016-02-23 更新

ナンニ・モレッティ監督


母よ、miamadre
© Sacher Film . Fandango . Le Pacte . ARTE France Cinéma 2015

ナンニ・モレッティ監督

 1953年8月19日生まれ。
 40歳にして世界三大映画祭すべてで賞を受賞した、イタリアを代表する監督である。監督作品では脚本も書き、主演をすることもある。癖のあるユーモラスな作風で、世界中にファンを持つ。
 北イタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェ州ブルーニコに、教師の両親の下に生まれる。父ルイジは俳優としても彼の作品に6度登場している。学生時代は映画と水球に熱中し、後に水球を舞台にした映画『赤いシュート』(89)を製作するきっかけとなる。
 これまでのほとんどをローマで過ごしている。20歳で短編映画を撮り始め、76年に最初の長編映画『Io sono un autarchico』を監督。77年には俳優として出演した『父 パードレ・パドローネ』がパルム・ドールを受賞。81年の『監督ミケーレの黄金の夢』でヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞受賞。85年には『ジュリオの当惑(とまどい)』ではベルリン国際映画祭、審査員グランプリを受賞。93年の『親愛なる日記』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞し、三大映画祭を制覇。
 2001年の『息子の部屋』でパルム・ドールを受賞。この2作はカイエ・デュ・シネマ誌の年間ベスト1にも選ばれている。2007年にはカンヌ国際映画祭にゆかりの深い監督たちのオムニバス作品『それぞれのシネマ』に参加。2011年には『ローマ法王の休日』がパルム・ドールにノミネート、2012年には審査委員長を務めるなど、カンヌ国際映画祭と縁が深い。



 カンヌ、ヴェネチア、ベルリンの世界3大映画祭を受賞しているイタリア映画界の巨匠ナンニ・モレッティ監督の最新作『母よ、』。この度、ナンニ・モレッティ監督のオフィシャル・インタビューが到着した。


映画ではマルゲリータ・ブイが主人公の女性映画監督を演じてますが、あなたの分身ですか?

 この映画で主役を自分で演じることは最初から考えていなかった。そういうことはかなり前に止めたんだ。そうしてよかったと思っている。以前は喜んで演じていたが、今はもう次から次へと映画で役を作り上げたいという固定観念に駆られることはないね。ずっと考えていたのは、この役は女性の監督という設定にして、演じてもらうならマルゲリータ・ブイがいいだろうということだった。理由はとても単純で、私が主役を演じるよりマルゲリータ・ブイが主役のほうがはるかにいい映画になるからだ。彼女は私よりもはるかに優れた役者だからね。


それでも、映画の中であちこちに、あなたがいるという印象があります。

 ローマのカプラニケッタ映画館の前で、私がマルゲリータの兄を演じているシーンがある。その中で、マルゲリータに彼女の中にある心理的な決まり事のうち少なくとも1つを打ち破ってみるように言っているのだけれど、まるで自分に言っているかのようだった。私はずっと、時がたてば心の奥から自分が引き出されることに慣れるだろうと考えていた。しかし、それどころか、私がこの道を進めば進むほど、倦怠感が生じてきている。映画は個人的な告白ではないんだ。ショットやフレーム、選択肢、演技があって、実際の人生とは違う。


ご自分の作品をどう定義なさいますか? 自伝でしょうか。

 すべての物語はいくらか自伝的だ。『ローマ法王の休日』の中で役を演じながら法王について語っていた時、私は自分自身について話していた。ミシェル・ピッコリ演じる法王は、自分は法王が向いていないと感じていたが、私が『夫婦の危機』でシルヴィオ・オルランドの演技と個人的な物語を描いた時も同じ心境だった。どれくらい自伝的か測りたいと願うことより重要なのは、一つひとつの物語に関して個人的なアプローチをすることだ。


『母よ、』の脚本を考え始めたのはいつですか?

 私は大抵、かなり時間を置いてから次の映画に取りかかるんだ。前の映画に向けていた精神や感情を忘れる必要があるからね。充電期間が必要なんだ。でも今回は、『ローマ法王の休日』が公開されるとすぐに、次の映画について考え始めた。映画の中で描かれていることがちょうど私の人生でも起こった時、執筆に入った。それはおそらく物語に影響を与えたと思っている。


(オフィシャル素材提供)


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