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トップページ > インタビュー > 『はじまりは5つ星ホテルから』 オフィシャル・インタビュー

『はじまりは5つ星ホテルから』
オフィシャル・インタビュー

2014-02-06 更新

マリア・ソーレ・トニャッツィ監督


はじまりは5つ星ホテルから5hoshi
© 2013 Biancafilm Licensed by RAI S.p.A. - Rome, Italy. All Rights Reserved.

マリア・ソーレ・トニャッツィ監督

 1971年5月2日、イタリア・ローマ生まれ。
 父は『Mr.レディ Mr.マダム.』(78)などに主演した名優ウーゴ・トニャッツィ。セカンドADからスタートし、その後助監督や、映画のメイキング・ビデオ、ミュージック・ビデオの撮影などを手掛ける。長編デビュー作品『Passato prossimo』(03)で、ダヴィッド・デ・ドナテッロ賞の新人監督賞にノミネート。イタリア映画ジャーナリスト協会賞の同賞を受賞。モニカ・ベルッチ主演の『ダブルボディ 愛と官能のルール』(08・DVD)がローマ映画祭のオープニングを飾った。ドキュメンタリー『Ritratto di mio padre』(10)では、ダヴィッド・デ・ドナテッロ賞ドキュメンタリー部門にノミネートされ、本作品で同賞の脚本賞にノミネートされた。

 5つ星ホテルにお忍びで宿泊し、そのクオリティが高い基準を満たしているかを評価する“覆面調査員”を仕事とする女性が、自分の生き方を見つめ直し、新しい一歩を踏み出していく物語『はじまりは5つ星ホテルから』。この度、マリア・ソーレ・トニャッツィ監督のインタビューが届いた。


今日の映画界に欠けている重要な要素について

 今日、配給されている多くの映画で繰り返し見られるテーマが“家族”です。一口に家族といっても、大家族、ゲイの家族、崩壊した家族、一度別れたけど、よりを戻した家族など様々ですが、そこで大きく欠落しているのは、イタリアの人口の17%を占める、子供のいない独身女性や離婚を経験した女性を表す数字です。
 その数字ではもはや少数派とは呼べず、2000年から10年間にわたる統計のパーセンテージはいまも上昇しています。私も、私と一緒に仕事をしている脚本家も、そういう女性について正しく映画の中で描く時が来たと考えました。こうして主人公であるイレーネが誕生したのです。


幸福になる唯一の方法?

5hoshi 本作『Viaggio Sola/一人旅』(原題)は、独身で、子供もいない40代のある女性の物語です。しかし、彼女はだからといって自分の人生が失敗だとは思っていません。むしろ満足しています。端的にいって、これは革新的な概念だと思います。つまり、一人の女性が40歳で独身であり、子供もいないが、悪い男でもいいから一緒になって、子供を持とうと全力で努力をしているわけでもない。匿名の男との間で人工授精を試みる、というようなことをするわけでもありません。仮に彼女が献身的に働ける仕事を持っていて、それが結婚して家庭を築く障害になっているのなら、彼女が生きている間中、周りのみんなが「急いで相手を見つけて子供を持ちなさい」という悲痛な声を彼女に寄せるでしょう。なぜなら、それが幸せになれる唯一の方法に思えるからです。


“覆面調査員”というユニークな仕事

 イレーネは常に旅行し、根無し草のような気持ちを強く持っています。彼女は人知れず高級ホテルに滞在し、ホテル従業員の知らない間に、滞在中に高い評価に見合うだけの十分な基準が本当に満たされているか調べるのです。少しでもミスや至らない点があれば、減点対象としてメモを取ります。この作品を通して、彼女は、雪深いアルプスやヨーロッパの大都市、モロッコなどさまざまなホテルに滞在します。


2つの異なる世界

 イレーネは、現代における2つの異なる世界の分岐点にいるといっていいでしょう。その2つの世界の隔たりは今、過去最高に達しています──極端に裕福な層と、低中産階級です。後者は裕福を夢見ることしかできないか、一生に一度それを経験できるかどちらかです。例えば、イレーネは、そういった後者の人たちのハネムーンの夜に、裕福な客であるように装い、昆虫学者のような明快な精神で、また感受性の豊かな1人の女性として、2つの異なる世界を観察します。


男性からの視点

5hoshi イレーネは放浪的な生活を送っていますが、彼女が故郷のローマに帰ってきた時には、元婚約者のアンドレアに会います。2人の関係は、嫉妬もなく、一緒にいたいという思いだけがあり、兄弟のように楽しいことを共有したりするからある意味理想的ともいえます。男性の視点から見ると、この映画の中には母性的なものが欠如していると思えるでしょう。アンドレアは見知らぬ女と一夜を過ごし、後になってその女性が妊娠し、彼が承諾するしないにかかわらず産むつもりであることを知らされます。アンドレアは初めは父親になることを拒否しますが、次第に受け入れ、責任を持とうとする。一方、イレーネは独身を貫き、見捨てられたかのように感じながらも、彼の経験をそばで見つめていくことになります。


将来を見つめて

 この作品では、アンドレアやイレーネの姉妹のシルビア(結婚し、子供もいる)とイレーネを対比させながら、イレーネの内面の変化、自己分析する様子を描き、彼女の公私両面にわたり、将来を探っていきます。しかし、彼女は他人として登場する人類学者のケイトの中に自分の将来の姿を見ることになるのです。ケイトもイレーネと同じように独身で、自由と独立した女性の化身とも言える人物です。


自由は存在しない

 自由というものが、孤独で恐ろしいものと誤解されているのは本当です。ですが、現実には自由そのものは存在せず、人はいつでも妥協を余儀なくされるのです。本当の自由というのは、何を諦めるか選択できるということでしょう。映画の終わりで、イレーネは決断を下します──。十分自分の行動を自覚しながら、何かを諦めることと引き換えに幸せな人生を歩んでいくのです。


(オフィシャル素材提供)


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