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『朝日のあたる家』 オフィシャル・インタビュー

2013-09-15 更新

山本太郎


朝日のあたる家chefpresident
© 「朝日のあたる家」

山本太郎

 兵庫県宝塚出身。高校在学中にテレビ界デビュー。テレビドラマ「ふたりっ子」、「新選組!」。映画『バトルロワイアル』、『GO』など数々のヒット・ドラマ、映画に出演。2011年度より反原発運動を開始。「ひとり舞台 脱原発 -闘う役者の真実-」(集英社刊)も上梓している。2013年7月の参院選で、無所属の新人で唯一当選を果たした。

  自然が美しいある町に突然降りかかる原発事故による悲劇と、否応無く事故に巻き込まれていくひとつの家族の姿を描いた映画『朝日のあたる家』。太田隆文監督が現在日本が抱える原発問題に真っ向から挑んだ本作に出演した、反原発運動の闘士・山本太郎のインタビューが届いた。


出演に至った経緯と、脚本を読んでまず感じられたことを教えてください。

 それは監督からの熱烈なラブ・コールですよ(笑)。脚本を読んで、テレビ、新聞などのマスコミ、メディアのスポンサーへの気遣い偏向報道で事実を知ることが出来ていない人たちも、もしかしたらこの作品を通して原発事故の悲惨さが疑似体験できるのではないか、と思いました。私生活で原発へのアクションをしているので、作品などで表現する必要はないと出演を決めるまでは思っていたのですが、監督と話し合い、脚本を読んでいく中で、自分の考え方が変わりましたね。


光太郎という人物はどのように演じてみようと思われたのですか?

 自分と重なる部分もあったので、脚本のまま素直に光太郎に入っていくことだけでしたね。


監督とのコミュニケーションはいかがでしたか?

 太田監督は、役者が納得できるまで現場で話し合ってくださったので、芝居に入るまでの時間で僕らの「気持ち」や「感情」が現場で構築できるまで、絶対本番にはいかないんですよ。役者の生理をよく理解されている監督だと思ったので、僕から特に何かをお願いすることはなかったですね。


舞(橋本わかな)との病院でのシーンは涙を誘うものでした。

 あそこは台本をしっかりと頭に入れ、監督の指示に従い、橋本さんのピュアな芝居に触れればいいだけだったので、僕が特に芝居をリードしたわけではありませんでした。


ロケ現場の湖西市の印象はいかがでしたか?

 実はこの辺り、波乗りをしていた時代によくおじゃましていたエリアだったんですよ。その当時は原発の危険性など考えたこともありませんでした。どんな美しい景色も、豊かな暮らしも、美味しい食べ物も、一瞬で目に見えないモノに脅かされる恐怖。どうか映画の撮影で触れた湖西の美しさ、人々の優しさが理不尽な脅威で目茶苦茶にされませんように、と祈る気持ちがあります。


スタッフ・キャスト、ボランティアの方たちについては?

 お金でなく“想い”で集まった最強のチームでした。僕は数日だけの参加でしたが、同じ時間を共有できたこと、忘れません。


映画をご覧になる観客にひと言お願いいたします。

 この国に住む者にとって、全ての人々に起こり得ることです。原発がなくてもエネルギーは足りているわけで、ガス火力中心でこの国はすでに「脱原発」に成功しています。99%の人を犠牲にしても、1%の人が地震の活動期でも金儲けを諦められないから、原発をまだまだ続けよう、というのがこの国の原発政策です。事故が起こっても、電力会社や国は「事故隠し」以外何もしてくれないんです。東日本一帯にブチまけた毒物は、「無主物」として司法から責任を問われることはない加害者。電力会社の上層部は億単位の退職金を持って天下りする。一方で「放射線管理区域」の何倍もの線量数値の場所は、「安全・復興」という言葉にすり替えられ、「放射性廃棄物」と同等の食べ物を食べても安全だと切り捨てられることが東電事故でハッキリしました。チェルノブイリ事故から27年経った今も「健康被害」は拡がり続けています。大人が今、本気を出して止めさせなければ、次の苛酷な事故は時間の問題です。皆で一歩踏み出す勇気を持って、この窮地を乗り切りましょう。

 6月29日、湖西市民会館での舞台挨拶でのコメント

 舞台挨拶という場に来られてすごく嬉しいんです。原発事故があってから仕事がなくなって、最後に仕事をしたのが去年の夏でした。で、その後ずーっと仕事がなくて、今年の3月にこの映画で湖西市に呼んでいただいたんです。去年の8月に撮影した映画も、この5月、6月に舞台挨拶がある予定だったけれど、「テレビの取材が入ることになったから、山本さん、ちょっと舞台挨拶ごめんなさい」って言われてしまったんですよね。やっぱり映画とテレビというのはスポンサーと密接につながっているから、気遣いというのが大きいんですね。だからこうやってお客さまの前で「観に来ていただいてありがとうございます」といえるのは幸せなんだなと思います。
 この映画を一刻も早く、静岡の皆さん、そしてその他の地域の皆さんにも観ていただいて、同じことを繰り返してはいけないよという共通の認識になればいいなと思っています。


(オフィシャル素材提供)


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