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『唐山大地震 -想い続けた32年-』フォン・シャオガン監督来日・貝原元兵庫県知事 表敬訪問

2011-02-10 更新

フォン・シャオガン監督

赤い糸

配給:松竹
3月26日(土) 全国ロードショー
(C)2010 Tangshan Broadcast and Television Media Co., Ltd. Huayi Brothers Media Corporation  Media Asia Films (BVI) Limited All Rights Reserved.

 1976年に実際に起こった唐山大地震に運命づけられたある家族の32年間を描いた感動作『唐山大地震 -想い続けた32年-』。
 本作品で監督を務めたフォン・シャオガンは、中国国内で初めて総興行収入10億元(130億円)を超えた監督で、中国のスピルバーグと評される程の人物。本作『唐山大地震 -想い続けた32年-』が昨年7月、中国で公開した際には、あの『アバター』を超えるオープニング興行成績を記録し、中国映画史上最高興行収入記録を打ち立てている。

 この度、フォン監督が阪神・淡路大震災のメモリアルデイである1月17日(月)に神戸を訪れ、一般開放となる「人と防災未来センター」にて、神戸の人たちとともに慰霊献花に参加した。また震災時の兵庫県知事である貝原俊民氏(かいはら・としたみ/現 ひょうご震災記念21世紀研究機構 理事長)を表敬訪問、会談を行った。


 本作を作るにあたり、唐山市、唐山の人々の「地震を風化させてはいけない」という思いに感動したというフォン監督。「阪神・淡路大震災後、行政・市民が一丸となって早い復興をとげた神戸、そこには、やはり人々の“もう一度、あの街を、みんなで”という強い思いがあったと聞き、日本に行くならばその神戸の街を見たい。1月17日に訪れ、慰霊・献花をしたいという監督の希望がありました。そして当時、県知事だった貝原理事長が現在ひょうご震災記念21世紀研究機構にて防災活動に尽力されており、また、過去には唐山市を訪ねられているということもあり、表敬訪問させていただくことになりました」と語った。

 献花の式典後に行われた両氏の会談では、自然災害と人々の生活について話し合われた。
 冒頭、フォン・シャオガン監督は2008年の四川大地震における神戸市の援助に謝意を述べ、貝原氏は本作の描く大規模災害とそこから復興する人間のドラマを絶賛した。

フォン・シャオガン監督: 本日、ここ神戸で、追悼の式典に参加できて光栄です。また、2008年の四川大地震の時は神戸の方々からひとかたならぬ援助の手を差し伸べていただき、改めて感謝いたします。
貝原俊民: 自然災害は、人に大きな試練を与えます。映画で描かれた、その苦難に立ち向かおうとする人間の姿、家族の絆に本当に感動しました。実際、私も唐山大地震から20年経った唐山市へ行ったことがあります。素晴らしく発展した唐山市の復興の姿は、神戸市に大きな勇気を与えてくれたと思います。

 貝原氏は唐山市を訪れたことがあり、自然災害の厳しい現実を伝える役割を担っている者同士、共有する体験や感情などが話し合われ、会談は終始親密なムードの中行われた。


貝原俊民: 四川大地震の復興のスピードは、今の中国の勢いをみているようで、素晴らしいです。しかし(被災者の)心の復興はそうはいかない。時間がかかることだと思います。そして、そのような状況に対して、この映画は大きなメッセージをもっていると思います。
フォン・シャオガン監督: そのような人たちが立ち直る一助になれば非常にうれしいです。また、この映画で、世界の人々に中国に対する理解が深まればいいと思います。


 『唐山大地震 -想い続けた32年-』を機に実現した今回の会談は、唐山市と神戸市を結ぶ貴重な架け橋と言っていいであろう。新たな国際交流が始まった瞬間であった。


フォン・シャオガン監督 来日記者会見


「唐山大地震」について紹介してください。

 この、映画は地震の破壊力やエネルギーを描く映画ではありません。もちろん、それらは、凄まじいもので全てを破壊するが、家族の絆まで奪うことはできません。私が描きたかったのは、そういう人間の姿です。


この映画を作ろうと思ったきっかけは何でしたか?

 まず、小説を読んで感銘を受けました。「余震AFTER SHOCK」というタイトルのとおり、“地震の後”が舞台になっている小説だったのです。この小説が切り口になって、映画の構想が広がっていったのです。

本作はどのようなドラマでしょうか?

 一度傷つけられた人間の心の復興は難しいです。この人間の感情の回復が大きなテーマです。また、人の心の融和も大きなポイントだと思います。震災後32年目の再会の場面で母親は震災の際の不幸な事件について娘に対して謝るけれども、その一方、このシーンを見るものは非常に温かい気持ちになっているはずです。家族というのはそのようなものです。

どのように被災者の心情をリサーチされましたか?

 彼らを何かの言葉で助けてあげることはできません。我々ができることはとにかく彼らの言うことを聞いて、理解してあげることです。とにかくそれをしていました。

本日、阪神・淡路大震災の慰霊式典にご参加された感想は?

 日本は地震の多い国だと聞いています。阪神大震災があった本日、慰霊碑の前で、ろうそくをあげて、お参りをする人々を見ました。彼ら、遺族にとって地震の記憶はいつまでも昨日の事のようでしょう。映画も、そういう誰にでもありえる家族の物語を描こうと思ったのです。


(オフィシャル素材提供)


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