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舞台挨拶・イベント

トップページ > 舞台挨拶・イベント > 『NECK ネック』“ただでは、すまない”トークセッション

『ロストクライム -閃光-』
“ただでは、すまない”トークセッション

2010-06-28 更新

宮崎 学、香山リカ、宮台真司、永瀬隼介

ロストクライム -閃光-

配給:角川映画
7月3日(土)[角川シネマ新宿]ほか全国ロードショー!!
(C)2009「ロストクライム -閃光-」製作委員会
http://www.lostcrime.jp

 1968年12月10日に発生し、未解決のまま時効を迎え、「世紀の完全犯罪」と言われる“三億円強奪事件”。その事件の「触れてはいけない」闇の真相に迫るサスペンス大作『ロストクライム -閃光-』と、フォーラム神保町によるコラボ企画“ただでは、すまない”トークセッションが開催された。作家の宮崎 学、精神科医の香山リカ、社会学者の宮台真司、そして本作品の原作「閃光」の著者・永瀬隼介が、独自の視点とそれぞれの立場から、時代背景と犯人像、犯行の目的、事件の特異性に鋭く斬り込んだ。


宮崎 学: 未解決事件が起こると必ずお前ではないかと言われて半死を送ってきました。今回の“三億円事件”が起こったのは1968年で、当時はイチゴ世代白書で、学生運動が盛んな時代でした。まさしく私も学生運動の渦中にいてかなりの衝撃を受けた事件でした。伊藤監督の手による作品を見せていただきまして懐かしく思い、そうだったなぁとたくさん感ずるところがありました。


香山リカ: 私の仕事柄未解決事件があると犯人の心のうちはどうでしょうといったようなことを聞かれます。“三億円事件”が起きた頃私はちょうど8歳ぐらいで、犯罪が起こると社会の生んだ犯罪だとか、私のうちにも犯人がいるのではという風に自分で引き受けたりだとか、この作品のように社会の構造の中でなんでこういう事件が生まれたのかと考える視点があったのですが、最近はとんと個人の中に問題があって犯罪が起こっているのではないかと視点が多くなってきています。昔と今とでは重大な事件の捉え方が変わってきています。

宮台真司: “三億円事件”をモチーフにした映画が数本あって最近では『初恋』という作品がありました。あの作品は、68年に起こった事件のバックグラウンドが家族関係にあると解釈されています。しかし私から見ると人間関係の距離感を68年に持ち込んでいるようにしか思えなかった。当時私は9歳で事件を鮮明に覚えていました。そして、犯人に共感した覚えがあります。


永瀬隼介: 今まで“三億円事件”は犠牲者のいない事件だといわれてきましたが、「閃光」を書くにあたって色々と調べると、その事件に人生を狂わされた犠牲者がいたのです。当時であれば“三億円事件”の犯人はヒーローとしてあげられていましたが、犠牲者となってしまった人々のことを描きたく「閃光」を執筆しました。


 この後、“三億円事件”の犯人が単独犯、複数犯の二つに意見が分かれ、トークセッションはヒートアップ!!


宮崎 学: 当時犯人とされた少年Sは自殺するようなタマではありません。主犯格の犯人がいて、知らないうちに手伝わされていたからこそ真相が明らかにならず、未解決になってしまったんだろうと思います。


永瀬隼介: 私はこの原作を書いているということもありますが、やはり複数犯だと思います。事件の布石として、夏に脅迫状が5通届き、爆発物を仕掛けるという脅迫もありました。白バイやシート、セドリックなどを一人で準備できるかといえば難しいでしょう。当時19歳の少年Sが実行犯であることは間違いないでしょうが。彼が事件の5日後に死んでしまったことが、警察の捜査志気を低下させ、いろいろなミスが連発しました。脅迫状の切手の唾液や脅迫電話の声が30代で少年Sではないことも判明しています。あのときに少年Sを逮捕していれば誤認逮捕もなく、犠牲者は出なかったのではないかと私は思います。


(オフィシャル素材提供)


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