インタビュー・記者会見等、映画の“いま”をリポート!

Cinema Factory

Cinema Flash





広告募集中

このサイトをご覧になるには、Windows Media Playerが必要です。
Windows Madia Player ダウンロード
Windows Media Playerをダウンロードする

インタビュー

トップページ > インタビュー > 『我が至上の愛 ~アストレとセラドン~』アンディ・ジレ、ステファニー・クレイヤンクール インタビュー

アンディ・ジレ、ステファニー・クレイヤンクール インタビュー

2008-01-17 更新

カメラは、事物をとても美しく見せることもできれば、ひどく醜く写すこともできるものだけど、ロメール監督は美しく見せることにしかカメラを活用しない

我が至上の愛 ~アストレとセラドン~

アンディ・ジレ、ステファニー・クレイヤンクール

【アンディ・ジレ】
1981年7月8日、インド洋南西部に位置するフランス圏の島サン=ドニ・ド・ラ・レユニオン生まれ。オート=サヴォワに移り住み、ナンシー演劇学校で2001年まで学ぶ。パリに出てコンセルヴァトワールに入学。在学中はモデルとしても活動し、エルメス、ヴァレンティノ、バーバリーなどのモデルとしてキャンペーン広告を飾る。03年からエヴァン・サン=ポールのクラスを受講するも、中断して4ヵ月間日本でモデルとして活動。翌年、ツルゲーネフ作《田園でのひと月》のベライェフ役を得て舞台デビュー。続いて、ラシーヌ作《バジャゼ》では表題役を演じる。2005年にはジョゼ・ダイヤン監督による文芸作品のTV化の一本「Les Rois maudis」でTVデビューし、この後、アトリエ劇場でシャルル・ベルリング演出・主演によるカミュ作《カリギュラ》に出演して注目を集める。これが評判となり、早速アンヌ・フォンテーヌ監督「Nouvelle chance」(06)で映画デビュー。舞台が続演されるなか、合間を縫ってザブー・ブライトマン監督・主演「L'homme de sa vie」にも出演。舞台を見たエチュガレの推薦で本作に抜擢され、終演とともにこのセラドン役で映画初主演。一躍注目され、2008年エトワール・ドール(黄金の星)の新人男優賞をジョスラン・キヴランと共に受賞した。以来、シリーズ「Eternelle」(07)や「Un village francais」(08)、TV映画「L’amour fraternel」(08/ジェラール・ヴェルジェーズ)、人気マンガ「西洋骨董洋菓子店」を韓国で映画化した『Antique』(08/仏人シェフ役)など、次々に作品が決まっている。

【ステファニー・クレイヤンクール】
1984年12月2日ベルギー、ブリュッセル生まれ。大叔母はアンドレ・デルヴォーによって映画化もされた『黒の過程』などで知られ、80年に女性初のアカデミー・フランセーズの会員となったベルギーの大作家マルグリット・ユルスナール(YourcenarはCrayencourのアナグラム)。だが、ステファニーが3歳にも満たない87年12月に他界したため、記憶にないという。母は彼女の姪セシル・ド・クレヤンクール(本名にはde が付くが、デビューにあたり省略した)、父はTETRA(Transdisciplinar European Training & Research in Antropology)の主宰者ドミニク・トメン。9歳までブリュッセル南部ソワーニュの森に近い自然に囲まれた地域で過ごす。サン=ジルのサン=リュック・インスティチュートで美術を専攻し、絵画や彫刻などを学び、造形美術のディプロマを修得。その一方で15歳から、シャンソン、演劇、映画などに興味を持ち、ミュージカル女優を志して、19歳で単身パリに行く。アトラにて声楽、ピアノ、ギターを学びながら、一年が経った頃、本作のヒロイン、アストレ役に大抜擢される。07年ヴェネツィア国際映画祭での初上映で国際的な映画デビューを飾り、劇中歌や絵画のような美しい肢体も披露するなどして各メディアの注目を集める。以来、各国の映画祭に出向いて、08年はフランス映画祭のため来日し、観客を魅了した。今後は、短篇映画の出演が決まっている他、自作によるアルバムの制作に取り組んでおり、09年のリリースで念願の歌手デビューとなる予定である。

配給:アルシネテラン
銀座テアトルシネマで公開中ほか全国順次公開

 フランス映画の巨匠エリック・ロメールが贈る究極の純愛物語『我が至上の愛 ~アストレとセラドン~』。監督最後の長編映画となるかもしれない本作で主演に抜擢され、一躍注目を集めているモデル出身のアンディ・ジレと、映画初出演のステファニー・クレイヤンクールが来日時、インタビューに答えてくれた。

巨匠中の巨匠であるエリック・ロメール監督との出会いについてと、監督の作品で主演できると知ったときのお気持ちをお聞かせください。

ステファニー・クレイヤンクール: ロメール監督と初めてオフィスでお会いしたときには、お茶を飲み、ビスケットを食べながら、映画以外の普通の話をしただけなの。“これで採用されるのかな”と思ったのだけど、そのときにはちゃんとしたお話はなく、ただ、私はスポーツが好きなのでその話をしたら、「今年はスポーツをやらないほうがいいね」と言われて。それは日に焼けてはいけなかったからなのね。
アンディ・ジレ: ロメール監督と僕の出会いはとてもシンプルだった。監督はとても知的でシンプルな方で、「私は巨匠なんだから、頭を下げよ」みたいなところは1秒たりともなく、いつも周りの人間が互いに信頼し合えるような状況に置いてくださるんだ。だから初めてお会いしたときも、ビスケットとお茶を前にして午後の間ずっと話をしているという感じだった。話の内容も本当にとりとめがなくて、文学や好きな絵なんかの話をして終わったんだ。で、その面接の終わりのほうになってようやく、ラシーヌの17世紀の悲劇である韻文を踏んだ『バジャゼ』(Bajazet)というテキストを使って、普段話していない言葉で僕がどれだけ話せるか、試されたんだ。やったのはそれくらいだったね。ステファニーも監督にははっきり言われなかったそうだけど、僕の場合もはっきりと「君を起用する」とは一度も言われなかったんだよね。その最初の出会いは4月だったけど、その後月に一度か二度の割合で監督と会い、最終的には11月の頃に「このシナリオをちゃんと学んでくれ」と言われ、そう言われたのだから僕に決まったんだなと察して、そのときはすごくうれしかったね。

ちなみに、監督と会話をしていたときに、どんな文学の話をしたのですか?

アンディ・ジレ:  文学の話をしていたときには、主に今回の原作者であるオノレ・デュルフェの話をしていたね。デュルフェは17世紀の小説家で、同時代の作家たちの中でどういう位置を占めていたかなどといった話をしたり、あるいは今回の撮影でどういう問題があるか、どこをロケ地にするのか、どういう服装にするかといったことも話した。

ロメール監督と一緒にお仕事をされた印象と、何かエピソードがございましたらお聞かせください。

ステファニー・クレイヤンクール:ご存じのようにロメール監督は大変高齢な方だし、ロケ地がロワールのお城や森の中ということもあって、あまり時間的に余裕のない中での撮影だったのだけど、そんな中でも監督の精神のあり方にはとても感動したわ。というのは、それぞれのシーンに一つひとつの意味があって、全く無駄なものがない撮り方をされていたから。必要なカットが最初からきちんと決まっていて、信じられないようなお仕事ぶりだったわ。
アンディ・ジレ: 監督はとても情熱的な方で、接している僕たちも情熱をかきたてられたね。最初の頃はお体が大丈夫かなと心配だったけど、撮影が進むにつれてだんだん背筋が伸びてきて、「杖なんかいらない」と杖を置いて森の中を歩いていったりしたくらいで、撮影が終わる頃のほうがむしろ元気になっていた。まさに映画が監督に活力を与えているということがよく分かったよ。そしてとても感動したのは、監督が映画というものに全くごまかしのない姿勢で誠実に取り組んでいるというのがよく分かったことだ。カメラは人間や自然の姿を美しく見せるものだという彼のセオリーが実感できた。カメラというのは、事物をとても美しく見せることもできれば、ひどく醜く写すこともできるものだけど、ロメール監督は美しく見せることにしかカメラを活用しない。一つひとつのカットが本当に必要だからこそ撮られていて、その映像にこめられた意味は深く、まるでマジックのようだった。それを目の当たりにして、本当に素晴らしいと感じたよ。監督はとても機転の利く方で、何を求めているのかを完璧に把握していて、ユーモアにもあふれている。ご自身の周りに、聡明で愉快な方たちを集めるのも得意だね。

原作を基にした映画ですが、小説から映画にする上で何が重要なのか、監督とディスカッションする中でどのように理解されましたか?

アンディ・ジレ: 17世紀の偉大な大河小説のような作品の映画化だけど、ロメール監督が書き直した台詞を読んだとき、17世紀の台詞がこれほどまでに今でも使うことができるんだと驚かされたね。
ステファニー・クレイヤンクール: これは監督が30年来温めてきた、本当に創りたかった作品なの。これが実現するとは監督ご自身信じられなかったそうで、だから今回創れるようになったのは「自分にとって大きな贈り物だ」ということを、よく話されていたわ。
アンディ・ジレ: 意外だったのは、17世紀の小説を映画化することに監督がそれほど困難を感じていないようだったことだ。というのは、17世紀の台詞が全く古さを感じさせず、現代性を含んでいるということに監督は気づいていたので、昔風の言い回しをわざわざ現代風に変える必要がなかったんだ。左から右に置き換えるだけの作業に感じていらっしゃるみたいだった。
ステファニー・クレイヤンクール: 監督は気負うことなく、とても気楽に創れたとおっしゃっていたわ。30年間かけて温めていたと言ったけど、もともとはピエール・ズッカ(『ロベルトは今夜』(1977)の監督。1995年に逝去した)という監督の親友が構想していたものだったということなの。彼は70年代を舞台に想定していて、小説の中では貴族が田舎に行って羊飼いになるので、70年代ではフランスの都会に生きている人たちが都会の暮らしに飽きて田舎で暮らすという設定にしようとジュッカは考えていたようなんだけど、ジュッカは残念ながら早くに亡くなってしまい、彼の構想は実現しなかった。ロメールは時代設定を変えることはせず、この小説の中にもこれまで監督が描いてきた人間の愛情に対するさまざまなあり方があることに気づいて、ご自身なりの方法で映画化することにしたようね。

この映画の中ではいくつかの愛の定義がなされていますが、共感した愛の形、あるいはご自身なりの愛の定義はありますか?

ステファニー・クレイヤンクール: ここに出てきた愛の形は私が考えるものとはだいぶ違っていたわ。映画の中ではいろいろな駆け引きや計算のない、本当に純粋で誠意ある愛を追っていたと思うけど、現代に住む私の生活の中でこういう愛を貫くのは難しいわね(笑)。でも、純粋な愛を求めるアストレという役を演じられたのはとてもうれしかったわ。
アンディ・ジレ: 僕はそうだな……、僕自身もセラドンと同じくらい愛に誠実でいたいと試みてはいるけど、実際は……(笑)。僕自身は絶対的な愛あるいは貞操というものを信じたいし、理想も持っている。でもね~……(笑)。
ステファニー・クレイヤンクール: アストレとセラドンの間でも友情は可能だったと思うの。友情に忠実……というのは信じられるけど、男女の愛はなかなか難しいわね。

今回は女性が主導でしたね。

アンディ・ジレ: そうだね、そうあってほしいよ(笑)。
ステファニー・クレイヤンクール: この映画ではそうだけど、日常は違うわね。

演技について伺います。感情の振れ幅が大きい役柄でしたが、役作りに苦労した点は?

ステファニー・クレイヤンクール: 私は演技を学んだことも舞台に出たこともなかったので、女優の仕事は今回が初めてだったの。それで、学校に通わせてほしいとお願いしたんだけど、監督には「行かなくていい」と言われて……。まだ何も知らない、手つかずの部分を大切にしたいと言われ、その言葉を信じることにしたわ。だから、泣くシーンなども本当に自分が泣くみたいな形で、演技というよりも自発的な感情を大切にしたの。監督はテイクを重ねず、自然のままで撮影する方だったので、そういう意味でも大変だった。あと、撮影でとても苦労したのは言葉で、17世紀当時の言葉をそのまま使ったので、私の年代でもわざとらしくなく自然に聞こえ、しかも観客に分かりやすいように話すのが苦労だったわ。
アンディ・ジレ: 確かに台詞は大変だったから、撮影の前に一番やらなくてはいけなかったことはその台詞を自分のものにして、出来るだけ自然に流麗に話せるよう、僕たちの台詞回しがストーリーを妨げるものにならないよう努めることだった。それに、ステファニーも言っていたように、ロメール監督はワン・テイクしか撮らないので、俳優たちはすごく戸惑ったこともある。一度間違ってしまってもそれが最後なわけだから。僕たちには間違いが許されなかった。その反面、監督は俳優たちに全幅の信頼を寄せてくれていたので、責任があると同時に僕たちは何を試してみてもいいという自由さがあった。監督には「どうしてもうワン・テイク撮らないのですか?」と聞いたこともあるけど、「私が興味をもっているのは、偶然が引き起こす俳優の生の不器用さ、そのようなちょっとした瞬間をつかみ取ることだ」という答えだった。ロメール監督が目指しているのと対局にあるのがロシア映画で、ロシアの俳優たちはいつも最大限、最高の力を発揮している部分ばかり見せていて、とてもテンションが高いね。そうではなく、ロメール監督は俳優がちょっとダメな部分を見せても、それをつかみ取り、俳優という人間の不器用さを映画に取り込むことを好む方なんだ。

今後、組んでみたい監督は?

ステファニー・クレイヤンクール: 私は日本の監督と「セーラームーン」の実写を撮りたい(笑)! あと、私はジム・ジャームッシュ監督の大ファンなの。ジャームッシュもエリック・ロメールの大ファンだと聞いているわ。それから、ショーン・ペン。彼の最近の監督作『イントゥ・ザ・ワイルド』(2007)はすごく良かった! 私はどちらかというとアメリカ映画が好きだけど、ジャームッシュもロメールが好きなように、監督の作品はアメリカでもずいぶん人気があると思うわ。それも分かる気がする。だって、アメリカ映画のほうが多少のリスクを冒しても、チャレンジしようという気概があると思うもの。ただ、フランス映画でももちろん、素晴らしい監督はいるわよ。オリヴィエ・ダアンとかクリストフ・オノレ、今回のフランス映画祭で出会った監督たちの何人かも素晴らしい方たちだと思ったわ。
アンディ・ジレ: 僕は台湾のホウ・シャオシェン監督だね。僕はアジア映画やラテン・アメリカの映画にとても惹かれている。ラテン・アメリカの監督だけどハリウッドで撮った……なんて作品だったかな……? そうだ、『バベル』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作)! そう、この監督が好きなんだ。あと、アルゼンチンの監督も好きな人が多い。フランスは……いいと思う監督もいるけど、ちょっと寒いかな……(笑)。

ファクトリー・ティータイム

初々しくも麗しい二人だった。特にアンディ・ジレは、フランスでも期待の新星として大きな注目を浴びている。正統派王子様的な美貌の持ち主というだけでなく、演技に対する考えもとてもしっかりしているので、今後スクリーンで見かける機会も増えることだろう。それにしてもこの二人、かなり微妙な雰囲気……。目撃情報によると、アンディのほうがお熱で、ステファニーは態度を決めかねている雰囲気とか。あくまでパパラッチ情報ってことで。
(文・写真:Maori Matsuura)


関連記事

Page Top