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記者会見

トップページ > 記者会見 > 『靖国 YASUKUNI』来日記者会見

来日記者会見

2008-04-25 更新

李纓監督

靖国 YASUKUNI

配給:ナインエンタテインメント
配給協力・宣伝:アルゴ・ピクチャーズ
5月全国順次公開
(C)# 2007 Dragon Films Inc.
Beijing Film Academy’s Youth Studio
Beijing Zhongkun Film Inc

 上映中止をめぐる一連の報道で今、大きな注目を浴びているドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』。戦後60年を過ぎ、日本における靖国神社の現実を映しながら、その存在の意味するところを問いかける本作を撮り上げた中国人監督、李纓が記者会見に出席、熱気に満ちたマスコミの質問に率直に答えた。

-----靖国神社に興味を抱いたきっかけ、映画を撮ることになった経緯を教えてください。

 私は1989年に中国から来日したのですが、その当時は靖国問題についてほとんど知りませんでした。靖国問題について撮ろうと思ったきっかけは1997年で、そのとき私は中国人として歴史問題、特に戦争問題に興味を持っていました。で、1997年は九段会館で南京事件の60周年のシンポジウムがあったのです。九段会館は戦争中、靖国神社の付属会館でした。そのシンポジウムに参加し、そのオープニングで『南京』という記録映画を観ました。戦争中に日本軍が撮っていた映画です。もちろん、虐殺などのシーンは全くありませんでした。日本軍の入場式のシーンがあり、国旗が揚がっていて「君が代」が演奏されていたんですが、私がそのとき非常にショックを受けたのは、会場から大きな拍手があったことです。戦後60年近く経っていたのにまだそうなのかと、驚きました。日本人と中国人の歴史認識の間には大きなギャップがあると感じました。何故そうしたギャップがあるのかと、私はまず自分自身に問いかけ、そして靖国神社を通して問いかけてみたいと思ったのです。撮影のきっかけはそこからでした。
 それ以来、10年間毎年、靖国神社に通って撮り始めました。

-----撮影には大変なご苦労があったのでは?

 これは基本的に、問いかけをしている映画だと思っています。冷静に見ること、それが私にとっては一番苦労した点です。揺れる気持ちを抑えなければなりませんでした。また、日本の戦争問題や靖国問題、靖国神社の歴史に関してたくさん勉強する必要もありました。多くの方々にもお会いしなければなりませんでした。その段階ではいろいろな苦労がありました。そのプロセスもこの映画では表現されていると思います。これは歴史問題というより、ひとつの戦争後遺症であり、現実問題だと思っています。複雑な戦争後遺症にもっと突っ込んでみたい、そして皆さんに考えていただきたかったのです。

-----靖国神社の撮影許可は取れたのですか?

 取れました。そのときは遊就館も撮影できました。本当に許可が厳しくなったのは、小泉元首相の参拝以来でしたね。

-----靖国刀の刀師・刈谷直治さんを映画の中心に据えたのは何故ですか?

 「靖国神社100年史」という本があるんですが、その中でも刀について触れられており、また靖国神社の中には日本刀鍛錬会の意識がまだ残っています。靖国神社に通っていたときから、私にとって刀のイメージは非常に刺激的を与えてくれました。というのは、映画の中にも出てきますが、昔の軍人の制服を着て帯刀して参拝している方たちがいたからです。そもそも靖国神社のご神体は刀なんですよね。ですからその刀を通して、靖国神社の魂というものを問いかけてみようと思ったのです。

-----この映画は誰に見せたいと思って作られたのですか? 監督のスタンスはどこにあるのかお聞きしたいのです。

 私が映画を創るきっかけはまず、自分が知りたいからです。特定の誰かに向けて……ということではありません。ただし、この問題はアジアの中では大切だと思います。特に、日本人と中国人、韓国人は非常に大きな意識のギャップがあります。ですから私は、この映画を一つの土台として、良い形でコミュニケーションが取れればいいなと思っています。そういう意味ではもちろん、私はまず日本人に見せたいのです。
 この作品は、“記憶”と“忘却”についての映画だと言えるとも思っています。日本人の記憶、靖国神社という強大なメモリーの中で、何が残され何が忘れ去られているのか、中国人としてはどんなことを記憶しているのか、アジアの中には共通の記憶があるのか、そのことを問いかけるという意味でも、まず日本人に観ていただき、日本社会の中で考えていただきたいのです。

-----なぜ、靖国刀が存在したのか、なぜ軍部が靖国神社で刀を作ったのか、その理由をご存じですか?

 私の認識としては、当時民族の精神高揚のために、伝統を回復させようとしたことがあると思います。背景としては、国連が満州国の存在を認めず、日本は国連から離脱し、世界との対立が始まった頃でした。日本は国民をまとめるためにも、靖国刀を日本人の精神の象徴にしようとしたのだと思います。

-----例えば、戦争で軍人が腰に下げていた昭和刀との違いについてはどうお考えですか?

 これは極めて専門的な話になりますが、靖国刀は当時、各地のさまざまな流派の刀匠を集めて靖国神社の中で作らせた刀です。昭和刀は、靖国神社以外で作った場合でもその名で呼ばれます。靖国刀は当時の日本にとって、一番魂が込められているシンボルでした。

-----大変素晴らしい作品だと思います。ただ、映画の中に挿入されている南京事件の写真は偽物ではないかと言う人たちがいますが、それに対してはどう答えられますが?

 私たちが1枚の写真に見るのは、当時のある瞬間というだけではなく、当時の歴史的事件や背景全てが含まれていると考えています。これは写真という媒体の大きな役割です。ただ、私が映画の中にこの写真を使っているのは、具体的にどういう時にどういう場所で何が起こったかを示すためではなく、靖国刀と同じ一つのシンボルとしてなのです。南京がどうということだけではなく、日露戦争、日清戦争の頃からの日本軍のアジア侵攻の背景を語るために使用したのであり、この写真の真偽がどうということは私の視点ではありません。

-----日本軍が虐殺行為を行ったのは事実だと思います。首を切ったりといったこともあったでしょう。あの写真と似たような場面はたくさんあったと思いますが、写真の真偽を取り沙汰されて、この映画の良いところの99.9%まで否定されてしまったら、もったいないと感じたのです。

 これは南京についての映画ではないのです。そしてこの写真はメディアの中に残されていた一つの記憶です。記憶はいろいろな形で問いかけることができます。これは戦争の歴史の中で残されていた一コマです。例えば、この写真が示しているだけの人数の虐殺があったのかということなどは、はっきりとは言えない部分もあると思います。ただ、“記憶”として私たちは無視できない、無視してはいけないものがあると思います。
 もう一つ大切なことがありますが、私は“反日”という言葉に非常に違和感を覚えています。というのは、私はずっと日本で生活していて、靖国問題が話題になったときに、政府あるいはマスコミがよく“反日”という言葉を使っていました。これは一番危険な言葉だと、私は思っているのです。ナショナリズムを強く煽っている言葉ではないでしょうか。というのは、日中戦争が始まる前に日本政府の宣伝として同じ言葉が使われていたのです。靖国問題は靖国問題であって、たとえ靖国参拝に反対しても、日本全部を否定しているわけではないのです。あたかも日本全体と対立しているかのようなメッセージを社会に伝えてしまうのは、非常に危険なことです。今後もマスコミの方々は、そういう表現を避けていただければと願っています。
 私はこの場で訴えたいのです。私は『味』という記録映画も撮っており、日本人老夫婦の素晴らしさを描いています。それによって、佐藤孟江(はつえ)さんは世界中のマスコミに取り上げられ、“世界が尊敬する日本人100人”[註:「ニューズウィーク」日本版(2005年10/26号)]の中の一人にも選ばれています。私はそういう映画も創っているのです。
 『靖国』は反日映画ではなく、日本に対する私からのラブ・レターなのです。日本を愛しているからこそ、この映画を創ったのです。

ファクトリー・ティータイム

現在、『靖国 YASUKUNI』ほど話題の映画もないかもしれない。上映中止をめぐる一連の騒動がテレビ・紙面で取り上げられ、表現の自由論議にも発展していっている本作。立場はどうであれ、観て考える機会は奪われるべきではない。監督、配給・宣伝の方々、そして映画館の方々の頑張りに期待したい。
(文・写真:Maori Matsuura)


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