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記者会見

トップページ > 記者会見 > 『明日への遺言』第20回東京国際映画祭記者会見

第20回東京国際映画祭記者会見

2008-02-22 更新

藤田まこと、ロバート・レッサー、フレッド・マックイーン、リチャード・ニール、
富司純子、小泉堯史監督、原 正人エクゼクティブ・プロデューサー

明日への遺言

配給:アスミック・エース
2008年3月1日(土)より渋谷東急ほか全国松竹・東急系にてロードショー
(C)2007「明日への遺言」製作委員会

 『雨あがる』『博士の愛した数式』の小泉堯史監督が15年間温めてきた『明日への遺言』の公開がいよいよ近づいた。敗戦後、捕虜虐殺の罪で訴えられた連合国の軍法会議で、毅然として自らの意見を述べて戦った実在の人物・岡田 資(たすく)中将を描いた本作は、失われつつある日本人の良心を描いた秀作として大きな話題を呼んでいる。共演したハリウッド俳優も揃った第20回東京国際映画祭の記者会見から、スタッフとキャストの熱い想いをお届けする。

-----まず、ご挨拶をお願いします。

小泉堯史:小泉です。今日はどうもありがとうございます。よろしくお願いします。
藤田まこと:台本を頂いた時に、小泉監督が十何年もかけて作られた作品なのに私ごときが主人公を演じても良いのだろうかと悩んだのですが、70歳を過ぎ、新たにひとつの重要な仕事をやらせていただくということでがんばらせていただきました。順撮りだったので、ストーリーを最初から最後まで追って撮りました。最後に岡田中将は十三階段を登るのですが、その時には気持ちが昇天し、肉体だけが十三階段を上り、このまま死んでしまうのではないかと思いました。本当に久し振りに映画に出させていただきましたが、優秀なキャストやスタッフの皆さんとご一緒することが出来、大変光栄なことでした。どうぞ、今日はよろしくお願いいたします。
富司純子:皆さん、こんにちは、富司純子です。私も、藤田さんを始めすばらしい共演者の皆さんと一緒に参加させていただき、本当に誇りに、光栄に思っています。岡田 資中将のこの責任の取り方、本当に素晴らしい方でした。温子夫人が「また、来世で添い遂げたい」とおっしゃったというナレーションがありますが、その岡田中将の妻を演じさせていただいたことを感謝します。どうぞ、ひとりでも多くの方にご覧いただきますよう、よろしく応援して下さい。
ロバート・レッサー:この映画で、フェザーストン主任弁護士の役を演じさせていただき光栄でした。実際にあった歴史的な出来事ですが、法廷で残された言葉からしかフェザーストンがどういう人物なのか研究できませんでした。弁護士として、アメリカ人として、公平な裁判の場で、戦犯裁判として岡田さんの弁護をする人物を描く。本当に平等な裁判が繰り返されたことを、古き良きアメリカを演じることをできたことを、アメリカ人として誇りを持っています。今のアメリカの観客の皆さんにも、こういう素晴らしい時代があったことを観てもらい、感動していただきたいと思います。
フレッド・マックイーン:ハロー。最初、バーネット主任検察官の役を演じるのは、感情的にも難しいことでした。バーネット自身も感じたと思いますが、個人的には岡田中将を有罪にすることが義務なので有罪にしたかったのは充分理解できますが、同時に同じ軍人として岡田中将の立場も良く理解できました。ですから、“有罪にしたいが、同じ立場に立てば自分はどうしただろうか?”と演じながら考え、感情的にとても混乱したことがあります。先ほど、出来上がった映画を初めて観ましたが、映画も語っているように、有罪になった岡田中将を許そうというわけではないですが、彼の死刑を減刑しようと努力をしたバーネットの気持ちは充分判ります。最終的に減刑を不可能としたのはマッカーサー将軍ですが、この映画のテーマとして、どんな政権でも、国民がコントロールをしないで放置しておくとあのようなことになってしまうことを判っていただき、注意していただきたいと思います。そして優秀な皆さんと一緒に仕事が出来て、深く感謝しています。いろいろありがとうございました。
リチャード・ニール:役者という人種はすごいエゴの持ち主なので、自分が出演した作品を客観的に見ることはとても難しいのですが、この映画については可能で、自分が演じていることを忘れてストーリーに集中しました。小泉監督は『博士が愛した数式』や『雨あがる』といった普通とは違ったリズム感の映画を撮られている方なので、この映画以外の作品でも人生について描かれていることをゆっくりと観測することが大切だと思います。もう一度『明日への遺言』を観て、そういうことをやってみようと思います。この映画で描かれた岡田中将のメッセージは、平和のために一緒に働いていくことだと思います。ありがとうございました。
原 正人:プロデューサーの仕事は、自分で考え、自分で監督を選び、スタッフを組織して映画を撮ることです。しかし、小泉さんの映画の際は、黒澤さんの『乱』も同じでしたが、作家を信頼して、その作家が表現したい世界をいかに支えていくか、どこまで忠実にバックアップできるかといったことが仕事でした。今日は黒澤組の野上照代さんもいらっしゃっていますが、今から十数年前、まだ黒澤監督がご健在の頃、『明日への遺言』について「これは小泉さん、なかなか難しい映画だよ」とおっしゃいました。それから月日が経ち、小泉さんも何本か素晴らしい作品を撮られたので、そろそろこの作品を撮るべき時期だということになりました。今は小泉さんに感謝しています。私の映画人生において、現場に関われるという意味では最後になるであろうこの映画に参加することが出来、非常に光栄ですし、誇りに思っています。日本にはいろいろな映画がありますが、私は終戦の年には中学2年生だった戦争を知っている最後の世代なので、そういう意味でもこの素材はどうしても残しておきたいという個人的な思いがあります。映画として作品として、そして日本映画として、ちゃんとしたものをちゃんと作り続けてちゃんと残したいという想いを、いつも自分の中で大切に残してきました。小泉さんがこの映画を撮って下さったことを、とても感謝しています。ただ、どこまで観客の皆さんに伝わるか、本当にこれからが勝負だと思います。どうか、マスコミの皆さん、この映画が多くの観客に届くよう、ぜひお願いしたいと思います。どうもありがとうございました。

-----『明日への遺言』という名前の映画で、明日の世代へどのようなことを伝えようと思いますか?

小泉堯史:非常に難しい質問ですが、この映画を作るにあたり、自分がどうしようこうしようという考えは一切持ちませんでした。大岡昇平さんの書かれた原作の『ながい旅』、岡田中将が書かれた『毒箭』がありますが、僕は戦後に育ったのでそういった本で描かれているような経験は一切ありません。ただ、虚心に映画に登場する人物たちに近づこうとする中で、岡田さんという人物が立ち上がってくれれば、皆さんが岡田中将、フェザーストン主任弁護士、バーネット主任検察官といった人たちと巡り会い、何かを感じてもらえばうれしいと思います。僕自身も映画を撮りながら、何とか岡田さんという人物を掴みたいと一生懸命頑張ったつもりですし、岡田さん、バーネット主任検察官、温子夫人といった登場人物から何かを感じ取ってくれたらとてもうれしいと思います。

-----岡田 資中将、温子夫人を演じて得たものは? これからの世代に何を伝えたいですか?

藤田まこと:私は、終戦の昭和20年には小学校6年生でした。生まれは東京の池袋ですが、その後京都に引っ越しました。昭和20年5月と記憶していますが、もうすぐ終戦という時に、京都の田舎に集団疎開をしました。疎開する前には、夕方、B-29が京都上空を大阪の方に向かい、夜になると、大阪の空が真っ赤に染まっているのを何度もこの目で見ました。このように私も子供の頃に戦争を体験しているわけですが、戦争では、勝ったほうも負けたほうも同じように人間としての苦しみを味わいます。だから、絶対に戦争をしてはいけない。私の兄は16歳で志願し、17歳で沖縄で戦死しました。今年の11月には、海底で眠る兄に、絶対に戦争をしてはいけない、戦争は罪悪なんだ、そういった作品に主演したと報告に行こうと思っています。この作品に出演させていただき、平和の尊さをつくづく感じた次第です。以上です。
富司純子:私も、終戦の年の12月1日に生まれました。母は8月15日の終戦の時にはまだお腹が大きくて、「こんな中で子供を無事に産めるのか凄く大変だったのよ」とよく聞かされました。ですから、藤田さんもおっしゃったように、戦争は絶対にやってはいけないと思います。今の戦争を知らない人たちに、私も知らないわけですが、この作品を観てしっかりと戦争をしてはいけないことを実感していただきたいと思います。そして、岡田 資さんのように立派に責任をとれる日本男児が今何人いるのか? また、温子さんのようにそういう夫を支えられる立派な女性は日本にいるのか? 私も学ばせていただいて、そういう女性でありたいと思っています。この作品を1人でも多くの方たちに観ていただき、戦争の悲惨さを伝えられれば本当にうれしいと思います。

-----この作品の原作に出会ってから映画化まで15年かかりましたが、長い時間を経ても映画化したいと思い続けた理由は?

小泉堯史:15年を経て岡田さんを描くまでの間、僕の中には全く変化がありませんでした。愛情を持てる人物を描きたいので、何とかその人物を歴史に中から立ち上がらせて、スクリーンに描いてみたい。もう一度スクリーンの上に再現し、きちっと自分で観てみたい。そういう楽しみがありました。今回、藤田さんという素敵な俳優さんが演じる岡田さんを毎日現場で見ることがやっと出来たので、本当に撮影が楽しみでした。

-----法廷劇なので限られたセットの中が舞台となる作品ですが、工夫や大変だったことは?

小泉堯史:狭い法廷が舞台ですし、多くの予算はかけられないので、戦場は舞台にせず、法廷だけで全て片づけようと思いました。幸いなことに(助監督だった)黒澤さんの最後の作品『まあだだよ』と同じスタジオでの撮影だったので、非常に勉強になりましたし、こういう風に撮れば良いんだなと思い出しながら撮りました。また、非常に良いスタッフに恵まれ、本当に楽しく撮影することができました。照明も工夫され、毎シーンで調整をしてくれ、楽しみながら現場で撮ることができました。

-----日米の出演者が共演されましたが、お互いの演技の相違点を何か感じましたか?

リチャード・ニール:ショッキングだったのは、皆に感激された、スタッフの皆さんにサポートしていただいたことです。良いテイクが撮れて次のシーンに進む前には、皆さんが立ち上がって拍手をされたんですよ。ロスの撮影現場は単なる産業のようになっていて、冷たく無礼に扱われますが、今回は惜しみなくサポートしていただきました。最初は、とても奇妙な気分で、“一体何が起きているんだ?”と勘ぐったくらいでしたが、4週間経ってようやくこういった現場にも慣れたと思ったら、もう帰国で……(笑)。
藤田まこと:小泉監督は長回しをされますが、カメラ3台が同時に回り始めます。長いシーンで監督が「カット!」と言う度に、フィルム・チェンジをするほどの長回しです。監督が「カット!」と言う度に、法廷のセットにいる全員が拍手します。私が下手な英語をしゃべっても、「カット!」の声がかかると全員が拍手をしてくれます。後で監督に聞くと、「皆が一生懸命にやったことがOKで、君の英語にOKを出したわけではない」と言われましたが(笑)。このように、良い雰囲気の中で最後まで仕事をさせていただき、本当に幸福でした。

-----監督からはどのような演技指導がありましたか?

小泉堯史:僕は何も指導していません(笑)。僕の役割は、皆が自然に演じることが出来る雰囲気を作れれば良いと思っていますので、一切藤田さんに指導していません。ご自身で岡田 資中将を掴まれ、演じてくれました。毎日、藤田さんが演じる岡田 資中将を見るのが楽しみで、カメラの前で楽しみながら撮影をしていました。
藤田まこと:裁判の最初から最後に向けて、だんだん岡田中将のテンションが上がっていくのですが、ここ一番、ここは何としてもミスをしてはいけないというシーンがあります。裁判長から、「ミスター岡田、広島・長崎に原爆を落とせと命令したのは、誰だか知っているか?」と聞かれ、私が正面を見ます。そこには(アメリカの)トルーマン大統領の写真があるのですが、写真のアップから私にカメラが戻ります。そこで、私は「命令したのは誰なのか知らない」と答えます。なぜ知らないと言ったのか? もし、岡田中将が「原爆を落とせと命令したのは、トルーマン大統領ではないか?」と言えば、「では、ミスター岡田が戦争犯罪人として捕虜のアメリカ兵を処刑したのは、天皇陛下の命令ではないか?」と、絶対に言われるからです。そして、その岡田の言葉で、裁判長は「この裁判はこれで打ち切る」と言うのです。監督は、いちいち細かい指示はされませんでしたが、感情の推移はちゃんと……、今、何も注意をしないとおっしゃいましたが、私をにらみつけました(笑)。そういうことも度々ございました(笑)。本当に、何回も言いますが、皆さんのおかげで演じきることができました。
富司純子:ご覧になっても判るように、監督はとても優しくて、スタッフを信頼していらっしゃいます。衣装合わせからクランクインまで詳しい演技指導はありませんでしたが、スタジオでは3台のカメラが回っているので、じっと見られて気が抜けないような感じで、その鋭い目に緊張していました。そのようなとても良い緊張感が、何よりもの演技指導となりました。
原 正人:皆さん、今日映画をご覧になって、富司さんのお芝居、表情をどう思われましたか? 私は初めてラッシュを見た時に、(死刑の判決を受けて)「本望である」と藤田さんが言いますが、藤田さんの演技が素晴らしいのはもちろんですが、あの時の富司さんの表情を見た時に涙が出てきました。今日で観たのが数回目ですが、またそのシーンでぐっと来て、思わず「この映画の本当の主役はあなたです」という手紙を富司さんに書いてしまいました。あの表情を見るたびに、胸が熱くなります。ひと言も台詞がないのにあれだけの表情が出来る富司純子さんのすごさを、改めて感じました。
フレッド・マックイーン:バーネット主任検察官役としては、どうしても岡田という奴を絞首刑にしたいんだと、一生懸命考えてその役作りをしましたが、現場で時々富司さんのほうを見るとそういった自分が崩れてしまい、2,3日後には彼女のほうを振り向くことさえ出来なくなりました。彼女のほうを振り向いてしまうと、自分の仕事が出来なくなってしまう。岡田を見るたびに嫌おうとしますが、富司さんのほうを見るとそれが出来なくなってしまう。信じられないぐらいアップダウンが激しい役作りでした。バーネット主任検察官について、いろいろな場所で歴史的資料を探しましたが、何も成果を得られませんでした。でも、自分自身もバーネット主任検察官と同じぐらいの苦しみを感じたはずです。バーネットは岡田への絞首刑の判決で勝利を得たのですが、その後に減刑を求めた。彼を許すことは出来ないが、死刑にも出来ない。死刑にしない以上、岡田は自由の身にはならないが、彼の家族との関係は維持できる。皆さんに忘れていただきたくないのは、戦争を描いたこの映画の中には信じられないほどのラブ・ストーリーがあり、バーネット主任検察官もそのことを感じていたであろうということです。

ファクトリー・ティータイム

アメリカと日本が戦争をしたことすら知らないという輩が少なからずいる今日、かつて、大きな歴史の激流に否応もなく巻き込まれた日本人の中に、最後まで誇りを忘れずに生き抜いた人物がいたことは忘れてはいけない。岡田中将になれなくても、その精神から何かを学ぶためにも見逃してはいけない傑作だ。
(文・写真:Kei Hirai)


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