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インタビュー

トップページ > インタビュー > 『かつて、ノルマンディーで』ニコラ・フィリベール監督 インタビュー

ニコラ・フィリベール監督 インタビュー

2008-02-15 更新

私が描いているのは世界の現実というよりも、こうあってほしいという私の願いが投影された世界だ

かつて、ノルマンディーで

ニコラ・フィリベール監督

1951年ナンシー生まれ。グルノーブル大学で哲学を専攻。在学中にルネ・アリオ監督の『Les Camisards(カミザール)』の撮影に参加。映画づくりに強く惹かれ、2年後にパリへ。78年、テレビ・ドキュメンタリー「指導者の声」で監督デビュー。90年の『パリ・ルーヴル美術館の秘密』で、国際的な名声を獲得。2002年の『ぼくの好きな先生』はフランス国内で200万人動員の大ヒットし、名匠としての地位を確立。2003年には、欧米各国でレトロスペクティヴが行われた。

配給:バップ+ロングライド
銀座テアトルシネマにてロードショー中、全国順次公開
(C)Les Films d'Ici-Maia Films-ARTE France Cinema-France 2006

-----ドキュメンタリーを撮る上で大切にしていることをお聞かせください。実際にはカメラをどのくらい回されているのですか?

 撮影の前に被写体と入念な準備をするということはあまりない。一つ例を挙げるなら、『ぼくの好きな先生』のときには大勢の教師に会ったし、たくさんの学校を巡った中であそこを選び、先生も同意してくださったわけだが、そのときも午後に話し合ってその日には決まったという感じだったね。その後も親御さんたちと会って3時間くらいミーティングをし、どのような企画でどんなイメージがあるのかということを説明して、あとは撮影にやって来ただけだった。3週間も前から教室や子供たちの様子を観察して、どんなものを撮ろうかと熟考したのではなく、初日から即座にカメラを回し始めたんだ。最初の2時間くらいはやっぱり、子供たちがカメラや録音機材などに関心を示してたくさん質問してきたので、そうした好奇心に応えてつつ、午前中はカメラに慣れさせる必要があったけれど、午後にはもう撮影をスタートさせていた。
 私の映画というのは、撮りながら少しずつ作られていく、そこで起きていることをカメラに収めていくというスタイルなんだ。だから、準備やリハーサルを入念にやってしまうとかえって駄目になる。今回の場合も、撮影前に出演者たちと何度か会ってたくさん話もしたが、カメラを回す前に何かを質問するようなことはあえてしなかった。もしも彼らがカメラの回っていないところで言ったことをもう一度繰り返さなければいけないとしたら、その言葉の新鮮さが失われてしまうのは当然のことだから、自発性を保つためにもあえて、カメラが回っていないところでは質問を避けたんだ。
 私は、撮りたいテーマや対象について知らなければ知らないほど、良い映画作りができると信じている。一つ例を挙げるなら、数年前に『音のない世界』という作品を撮ったとき、聴覚障害者の人たちとは会いたいと思ったが、聴覚障害の専門家たちには会いたくなかった。撮影を始める前に知識を頭に詰め込んでいるのは、かえって撮影の邪魔になると思ったからね。それよりももっと純粋無垢な視点で、知らないことを発見して学んでいくという気持ちで映画に取りかかりたかったんだ。

-----今作は監督ご自身の過去の体験に基づくということもあってか、これまでとは作風が違っている気がしましたが、過去の作品と比べてアプローチの仕方や撮り方を変えた部分はありますか?

 撮影の仕方はこれまでの作品とほとんど違いはないんだ。そういう印象をもたれたとすれば、今作は異なった素材を組み合わせ、幾層もの厚み、多様性を持たせているからかもしれない。『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』という映画の抜粋やアーカイヴ、インタビュー、風景、人々の姿、あるいは手記など、本当にさまざまなものを利用している。その多様性を今回は駆使してみたかったという思いはあった。ロシアの人形マトリョーシカのような、つまり入れ子構造にして物語を語りたいという欲望があった。ルネ・アリオの映画があり、その中にはフーコーによって書かれた本があり、その中には19世紀に起きた犯罪があるというように、重層的な構造になっている。そういう意味では確かに、これまでの作品とは違っているかもしれない。形式的なことから言っても、これまでと比べたら、もっと開かれたイメージだがいろいろと回り道をしている感もある。ただ、撮影の方法に関してはこれまでとほとんど変わっていないんだ。

-----いろいろと回り道をしているとおっしゃいましたが、私もこの作品を観ながら、どうして監督がこれを撮りたいと思われたのかなとずっと考えていました。そして、最後のシーンを観て全てを理解できた気がしました。核に父なるものの存在があったと思いますが、それは全ての始まりだったのか、それとも撮る中で生まれてきた一つのテーマなのですか?

 父親のシーンを見つけて入れ込みたいという思いは最初からあったが、それがこの映画を作った唯一の理由というわけではないんだ。理由はたくさんあった。ノルマンディーに戻って、あの映画が辿ったアドベンチャーに立ち返りたいという強い想いがあったし、それはかつての出演者たちにとっても非常に大切なことだったと思う。もちろん、父親の存在というのも大切だったが、私の映画作家としてのキャリアの中で、もう一度映画人としてのルーツに立ち返りたいという想いが自然に芽生えてきた。映画を作るというのは何を懸けなくてはいけないのかということも語りたかった。例えば、あの映画は資金不足で頓挫しかけたことがあって、実現するには本当に粘り強さが必要だったんだ。また、あの撮影はいわば集団で共有した体験、実際であれば出会わなかったようなさまざまな社会的立場の人々が集まって出来た体験だった。映画業界という一般的にはミクロコスモス、狭い世界の中で作っているようなイメージがあるよね? そうではなくて、映画というのはまた違うやり方でも作れるのだということ、何も映画業界に慣れ親しんだ人々ではなく、素人の人たちだって役を演じるのは可能なんだということを伝えたかったんだ。
 また、記憶という観点から映画について語りたいという想いもあった。映画作りという体験はその人の人生に何か痕跡を残すものであるし、もしかしたら人生の道を変えるものであるかもしれない。それはクロード・エベールが良い例だ。アニック・ビッソンも劇中で「この体験は自分自身、自分の人生について考えるきっかけとなった」と語っているように、映画というのはまさしく、人々の思考を豊かにしていくものなのだと思うね。
 つまり、共同の体験であること、強い欲求と粘り強さ、記憶を構築する作業であることなど、さまざまな側面から映画というものを語りたいと思ったんだ。

 (通訳さんに向かって)私はそんなに話したかね? 私が言ったことよりずっと長い気がするけど(笑)。これからはもっと短く答えよう。「はい」か「いいえ」で答えられる質問をしていただけるかな(笑)?

-----この作品の中心となっているのは『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』というあまり知られていない映画ですが、それを軸とすることに恐怖感のようなものはなかったのですか?

 そうだね、今や誰も知らない映画の軌跡を辿るというのは、一つの挑戦だったとは言えるだろう。しかも、映画の専門家やシネフィル(映画マニア)でなく、あらゆる人々に向けて作るというのは大きな挑戦だったと思う。ただ私にとっては、たとえ『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』を観ていなくも、本を読んでいなくても、この事件について何も知らなくても、全く問題ではなかった。ルネ・アリオの映画を観ていなくても同じくらい興味をかき立てられると思うし、むしろ一層ミステリアスに映るのではないだろうか。観ていない観客のほうが頭の中で想像が一層膨らんでいくということも、逆にあるのではないかな。

-----確かに、『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』という映画にはとても興味をそそられました。

 そういう風におっしゃっていただけるのはとてもうれしいよ。この映画をご覧になって『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』を観たいと思っていただけるのは、私のアプローチが必ずしも失敗ではなかったということを示しているからね。
 ただ、『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』という映画は逆説的な存在でもあるんだ。というのは、これは『かつて、ノルマンディーで』の完全な中心であると同時に、実は単なる口実でしかないということも言えるからね。それは、より広く大きな何かを語るための一つの扉のようなものだ。つまり、一つの例を通して“映画”というものを語っているんだ。私がここで描いているのは、映画そのもの、現在、人生、親子関係、記憶、時間、距離、共同の経験、死、狂気、書くという行為、言葉、言葉の欠如、政治、欲望だ。つまり、『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』という作品は、さまざまなことに扉を開いていると言えるんだ。
 真の主題は……、フランスではよく線路の踏み切りのところに「注意! 列車の陰に列車あり」という看板を見かける。私はこう言いたい、“注意! 映画の陰に映画あり”と(笑)。すなわち、強烈な存在感のあるピエール・リヴィエールの物語の後ろに、先ほど私が挙げたこと全てが隠れているということを伝えたいんだ。『ぼくの好きな先生』という映画でもまさしくそれは言える。あれはフランスのオーベルニュ地方にある小さな学校を映しているが、実はあの裏側にはもっと深いテーマが隠れているんだ。つまり、“人間はいかに成長することを学ぶのか”というテーマだ。あれはフランスの片田舎にある、さまざまな年代の子供たちが一緒に学んでいる特殊な学校のように見えるが、同じようなテーマを掘り下げるのであれば、東京でも同様の映画が撮れると思っている。もちろん東京では違った撮り方になるのかもしれないが、子供たちの集団が、文字や計算、絵を描くことだけでなく、他人との係わり合いの中でどのように振舞うべきか、どのように成長していくのかを学んでいくところを撮れるだろう。それこそが真のテーマなんだ。

-----タイトルについて、どういう経緯でつけられたのかお聞きしたいのですが、ルネ・アリオ監督の『Retour a Marseille(マルセイユへの帰還』(80)という作品と関連性はあるのですか?(註:『かつて、ノルマンディーで』の原題は“Retour en Normandie”)

 いや、そのことは後で気がついたよ(笑)。特に深い意味はなかったんだ。もしもブルターニュで撮影していたら『かつて、ブルターニュで』になっていた(笑)。もう公開されているわけだから、変えるにはもう遅すぎるよ。

-----ルネ・アリオ監督への想いがタイトルにも込められているのかなと思ったのですが……。

 いや、それに関しては違うんだ。映画のタイトルというのはやはり、誰にでも理解しやすいものであるべきだと私は思っている。先ほども申し上げたように、この映画は専門家やシネフィル、またはルネ・アリオの映画を知っている人たちではなく、一般の人々に向けられているからね。大体、一部の世代を除いてルネ・アリオを知っている人はだんだんと減ってきていて、若い人たちとなると今は誰も知らないよ。

-----『動物、動物たち』では死んだ動物たちである剥製を取り上げ、『かつて、ノルマンディーで』では豚が生まれるシーンから始まり、途中で屠殺シーンなども出てきて、生き物の生と死について意識させられます。死というテーマにも惹かれているのですか?

 私自身は死そのものに魅せられているということはない。少なくとも暗いイメージの死には全く魅せられていない。もちろん、『動物、動物たち』の剥製にされた動物たちは一見、死の匂いをさせているかもしれないけど、私はむしろそこにアイロニカルで何か楽しんでいるような、詩的とも表現できる視線で彼らを見ているつもりだ。『かつて、ノルマンディーで』では暴力的な死、豚の死を描いているが、あれはあくまで彼らの日常なんだ。豚を飼っているロジェにとって、豚の誕生から死までは毎年経験する日常なんだよ。私たちは肉を食べるが、その肉がどこから来ているかということは忘れがちだよね? 私たちがスーパーで目にする肉は、パックにされたぶつ切りだからだ。今の子供たちは例えば、牛乳は元からパックに入っていると思っていて、乳牛から来ているなんてことは全く知らなかったりする。すなわち私は豚の死のシーンによって、ああいう職業の厳しい側面を見せたいと思ったんだ。

-----ピエール・リヴィエールを演じたクロード・エベールさんを見つけるまでが結構ドラマティックでしたが、彼を見つけるまでにどれだけの苦労があったのですか?

 撮影開始当初は、彼が生きているのかさえ分からなかった。その消息が全くつかめない状況だったんだ。最初思っていたのは、リサーチ的な部分も一つの要素にして、その足跡を辿って彼を見つけ出すシーンを映画に盛り込もうということだった。ただ、今まで何かを追求するというやり方はしてこなかったので、どういう風に撮影したらいいんだろうと思いあぐねながら撮影を開始した。でも、1週間目は完璧にクロードのことを忘れていた(笑)。いろいろな人たちとの再会があって、さまざまな話を聞いたりしていたので、彼のことはそっちのけだったんだ。ところが、自分のほうから探しに行かなくても、ある人が彼のEメール・アドレスを教えてくれたんだよ。それで、私の追求の部分は無に帰してしまったんだ(笑)。それでクロードにメールを書いたら、3日後に返信が来た。そこには「3週間後にヨーロッパに仕事に行くから」と書かれていたんだ。メールで連絡があったのは、10~11週間の撮影工程の中のちょうど3週間目だった。その3週間後にヨーロッパに来るということだったので、大体6週目、すなわち撮影後半にさしかかった頃にあのシーンが撮れたということになる。だから、編集では最後に見つかったようにしているけど、あれはちょっとした作為なんだ。

-----本編に出演された方々は皆さん、本当に昨日のことのように全てを覚えていましたね。その後、皆さんはいろいろな人生を歩まれていますが、彼らはどうしてあそこまで当時の撮影のことを覚えていたと思われますか?

 それは明らかだ。あれほど深くみんなの記憶に刻まれたというのは、彼らにとってあのアドベンチャーが本当に人生のとって予期せぬものだったからじゃないだろうか。あの後も似たような経験を次々に繰り返す俳優であれば、いろいろな記憶が混じってしまってそれほどのインパクトはなかっただろう。でも、彼らにとってはあれが唯一の映画体験であったからこそ、心の奥深くまで記憶が刻み込まれたのだと思う。1970年代半ばにパリジャンである私たちスタッフがあそこに行って、「あなたたちと一緒に映画を撮りたい」と言ったとき、彼らは全くそんなことは予期していなかったし、最初は彼らも私たちに対して少し偏見があったはずだ。私たち自身が彼らに対して先入観があったと同様にね。もちろん、農村の人たちなのでやらなければいけないこともたくさんあったわけで、その時間を割いてほしいと私たちが突然言ってきたところで、すぐに喜んで受け入れてくれたというわけではないんだ。こんな風に、晴天の霹靂と言ってもいい体験が、彼らの記憶に残らないはずはないね。

-----ドキュメンタリーを撮る監督はそれぞれの立場や視点があると思いますが、監督の作品を観ているといろいろな意味で、もちろん厳しい眼差しはありつつも、ささやかな美しさやこの世に対する愛おしみ、純粋な驚きにも似た感情に気づかされます。監督ご自身は、観客にそういったことを発見してほしいという想いで映画を作っているのでしょうか?

 実を言うと、私は世界や人間に対してひどく暗いイメージを抱いている人間だ。人間というのはいくらでも悪くなれる。いくらでも残酷卑劣、醜悪下劣になり得るし、放っておいたら野蛮な生き物になると信じているんだ。教育や社会への適応性がなければ、どんどん落ちていくだろう(笑)。そんな野蛮な人間がうごめいている世界の中で生き続ける理由を見つけたいという欲求が私の中にはある。生き続けたいと思わせてくれるのはやはり、この世の美しいものだ。つまり、私は偽の楽観主義者なんだよ。
 私がドキュメンタリーで描いているのは、世界の現実というよりも、こうあってほしいという私の願いが投影された世界だと、よく言われる。確かに、そういうところはあるかもしれない。

ファクトリー・ティータイム

前日はほとんど寝ていなかったということで、かなりお疲れのご様子だったが、一つひとつの質問についてじっくり考えながら、ゆっくりゆっくり長~くお話ししてくださった監督。この粘り、やっぱりドキュメンタリー作家だ。
『かつて、ノルマンディーで』とともに、パリ国立自然史博物館の大改修に併せて剥製動物が修復されていく様を映した『動物、動物たち』も上映されているので、日本初公開のこの2本をぜひ併せて観てほしい。
(文・写真:Maori Matsuura)


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