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記者会見

トップページ > 記者会見 > 『呉清源 極みの棋譜』来日記者会見

来日記者会見

2007-11-15 更新

チャン・チェン(左)、田壮壮監督(右)、呉清源(前列)

呉清源 極みの棋譜

配給:エスピーオー
11月17日、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
(C)2006,Century Hero,Yeoman Bulky Co

 中国出身ながら、昭和日本の囲碁界で<囲碁の神様>と呼ばれた天才棋士・呉清源の波乱に満ちた人生を、中国第五世代の名匠・田壮壮監督が描いた『呉清源 極みの棋譜』。囲碁と人生の心理を探求するその非凡な男の魂の軌跡を端正な映像で写した田壮壮監督と、若き日の美しき天才に生き写しだというチャン・チェンが来日、記者会見を開いた。会見終了後には、93歳の呉清源氏ご本人が車椅子に乗って登場、呉氏を労わるようにして写真に納まるチャン・チェンの姿が印象的だった。

-----まずは、ご挨拶をお願いいたします。

田壮壮監督:皆さん、こんにちは。今日は会場に駆けつけてくださいましてありがとうございます。
チャン・チェン:(日本語で)こんにちは、チャン・チェンです。(中国語で)本日、映画『呉清源 極みの棋譜』のプロモーションで日本に来ることができて、とてもうれしいです。

-----チャン・チェンさん、呉清源さんと役作りのために一緒に過ごされたということですが、どのようなお話をされましたか?

チャン・チェン:一緒に暮らしたわけではありませんが、呉先生にお会いして、いろいろなお話をさせていただきました。先生と一緒にいたときは、僕はもっぱらお話を拝聴するほうでした。先生のお話の中では、当時どういう暮らしをして、璽宇教に入信してどういう人々に会い、どのような影響を受けたかということなどをお聞きしました。

-----呉清源さんにお会いになってどのような印象をもたれましたか?

チャン・チェン:呉先生に初めてお会いしたときの印象は、とにかく穏やかな方だなということでした。また、話をさせていただきましたら、確かに特別な方だということも分かりました。大変な記憶力の持ち主です。だいぶ昔のことでも、どこでどういう人に会ったと鮮明に覚えていらっしゃいました。また、70年くらい前に先生が囲碁を指していらしたときの記録のフィルムも観ましたが、観た後に先生はなんと、一つひとつ碁石を並べて当時の対局を再現してくださったんです。こうしたことからも、本当に特別な方だなという印象を強烈に受けました。ものすごく偉大な方です。先生にお会いしてからは、一人の人間が一つのことに対してこれだけの情熱をもってやり通す精神力の素晴らしさということを、俳優としても考えさせられました。

-----監督、呉清源の生涯をどうして撮りたいと思われたのですか? 本作の中国での反応はいかがでしたか?

田壮壮監督:監督というのは私が思うに、映画という形式を借りて自分の表現したいことを描くものです。私は呉先生の生涯が書かれた本を読んで、心から尊敬の念を覚えました。先生は固い信仰をもち精神世界を探求していった素晴らしい方だと思いまして、映画を作ることにしました。現代社会では精神性が失われがちで、だからこそ私はこの映画を撮りたいという強い思いに突き動かされたのです。
 中国では、上海国際映画祭で受賞(註:最優秀監督賞&最優秀撮影賞)はしましたが、まだ正式に公開されていません。

-----監督、チャン・チェンさんを一目見て起用を決められたそうですが、どのようなところが魅力だったのでしょうか。

田壮壮監督:中国でも日本でも“縁”という言葉を非常に大切にしていると思います。監督と俳優の関係もまさしく、縁の賜物です。どんなに探してもなかなか良い俳優が見つからない場合もありますし、今回のように一目見て“彼だ”と直感することもあります。今日はご本人の前ですので、彼がどれほど素晴らしい俳優か直接は申し上げたくないですが、とにかくチャン・チェンは大変良い俳優です。

-----チャン・チェンさんは、監督から「ぜひ一緒にやらないか」と言われて、どのように思われましたか?

チャン・チェン:監督が縁ということをおっしゃいましたが、当時、初めてお会いしたとき、僕も“この方とは以前お会いしたことがある”という気がしまして、非常に親しみを覚えました。その後、監督は僕の起用を決めてくださいましたが、やっぱりこれもご縁があったということなのかもしれません。

-----チャン・チェンさん、柄本 明さんに恫喝されるシーンは非常に緊迫感がありましたが、そのシーンはいかがでしたか? また、柄本さんに対する印象をお聞かせください。

チャン・チェン:確かに、おっしゃるようにとても緊迫感がありました。実は日本で最初に撮ったのがまさに、柄本明さんとの共演シーンでした。現場での柄本さんは非常にクールでカッコいいんですね。もともと口数の少ない方でしたが、僕自身外国人ということもあって、あまり交流する機会がなく、共演シーンはものすごく緊張しました。しかも、柄本さんが演じた役は呉清源先生の師でしたから、僕自身どのような芝居で相対すべきかいろいろと考えながら、緊張して演技をしました。

-----日本で何ヵ所かロケをされていますが、気に入っている場所と、撮影でご苦労がありましたらお聞かせください。

田壮壮監督:確かに、日本でのロケは大変でした。近江八幡の近くで撮影しましたが、なかなか古い屋敷が見つからなかったのです。そういう中で、私は出来る限りの工夫はしました。一番好きなロケ地は、日本海のほうで、特に福井の海は素晴らしかったですね。
チャン・チェン:この映画のほとんどの場面は近江八幡で撮影しました。僕が一番好きな場所は、囲碁をやるわけですから、多くのシーンは寺院の中で撮りましたが、撮影当時は秋で景色も大変美しく、とても気に入りました。普段はなかなかこういった寺院をゆっくり観る機会もありませんので、そういう意味でも良かったですね。
 撮影時の苦労に関しては、僕自身はあまり大変なことはなかったと思います。むしろ、田監督と一緒に仕事をするのがとても楽しかったんですね。監督はとても魅力的な方で、クルーも監督のもとでは家族のようにまとまります。撮影時間は長かったですが、順調にいきました。全員近江八幡に泊まっていましたが、その生活環境も良く、現場は本当に和やかな雰囲気でした。仕事がやりやすい現場で、自分自身の演技に対しても満足することができましたね。このような感覚というのは、実はなかなか体験できないものなのです。そういう意味では、これほど楽しくやれる仕事を僕に与えてくださったことを、この場を借りて監督にお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

-----監督、撮影中のご苦労に関して、もう少し具体的にお話しいただけますか?

田壮壮監督:まずは資金繰りが大変でした。もう一点は、時代背景が1930~40年代の日本ということでしたが、当時の面影が残っている町は日本にはありませんし、当時の人の雰囲気を出せる俳優やエキストラもなかなかいなかったんですね。演技指導も難しいものでした。撮影方法も日本と中国とでは違いがあり、日本では撮影はいつまで、何時までという制限があります。日本の俳優の皆さんは非常にプロ意識が高く、毎日ちゃんと準備をされて現場に入ることに私は感激しましたが、中国人の監督と主に日本人の俳優ですので、時に意思疎通が難しいと感じることもありました。

-----監督、監督の作品は光の使い方が素晴らしいですが、今回日本で撮影して光に違いは感じましたか?

田壮壮監督:光の使い方が素晴らしいのはカメラマン(ウォン・ユー)の功績です。彼とは長い間一緒に仕事をしていまして、前作は雲南でロケをしましたが、そのときも撮影監督を務めてもらいました。私がやっていることはただ、俳優を現場に連れていくだけです(笑)。

-----監督の作品では、激しいシーンではほとんど音楽を使われていないと思いますが、監督にとって映画音楽とは?

田壮壮監督:私が思うに、映画と音楽は自然に溶け合っているべきです。今回は音楽制作の時間があまりなくて、ちょっと残念でしたが、短い時間の割にはベストを尽くしたと思っています。

-----監督、今後映画化してみたい実在の人物はいますか?

田壮壮監督:今のところまだ決まっていませんが、今回の経験を通じて、実在の人物を描くのは非常に難しいと実感しましたので、おそらく今後は撮らないだろうと思っています(笑)。

-----現代の中国を舞台にした作品を撮るつもりはございますか?

田壮壮監督:確かに私は歴史ものをずっと撮ってきていまして、現代ものはあまり撮りたいと思っていません。もしも撮るとしたら、ドキュメンタリー・タッチで撮りたいですね。というのは、私自身はそんなに良いストーリー・テラーだとは思っていませんので。今回の呉清源先生の半生を描いた作品は、主に先生の精神面を表現したいと思っていましたが、私が描けたのはそのごく一部で、先生が到達した精神の境地には到底及びません。氷山の一角という表現がふさわしいかもしれません。良くて7~8%しか表現できていないのではないでしょうか。そういう意味では、ご本人の魅力はこの映画の中では語り尽くせていないと思います。

-----この作品に関わって以後、囲碁についてどのように感じられたかお聞かせください。

チャン・チェン:囲碁については以前は全く知りませんでしたが、この映画のおかげで、囲碁の世界に接することができました。接して感じたのは、囲碁というのはゲームではありますが、非常に奥深い世界だなということです。また、囲碁を通じて自分自身の性格を知ることができましたし、また物事を考えるときにいくつかのパターンを想定するようにもなりました。残念ながら、映画の撮影が終わってからは、あまり囲碁をやる機会がなく、未だに下手です (笑)。
田壮壮監督:この作品を撮り終えてからは、碁石を触らなくなりました。何故かというと、棋譜や当時の対局などを見て、ある日、囲碁のことが良く分かってきたと思った瞬間がありましたが、その瞬間のおかげでかえって、囲碁はどんなに難しく奥深いものなのか良く理解できましたし、私は囲碁を指せる人間ではないということにも気づきました。これ以上、自分が触るのは恥ずかしいという気持ちになりましたので、以降は碁を指していません。

ファクトリー・ティータイム

会見終了後に、93歳の呉清源氏ご本人が登壇したのには心打たれた。高齢故かお体がご不自由な様子で、お話をされることもなかったが、よほどの思いがあって駆けつけられたのだろう。そんな氏にそっと手を差し伸べるチャン・チェンの柔らかな表情から、氏への深い敬意と労わりの思いがにじみ出ていた。
(文・写真:Maori Matsuura)


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