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『大統領暗殺』インタビュー

2007-09-30 更新

ガブリエル・レンジ監督


大統領暗殺doap

ガブリエル・レンジ監督

 イギリス、チェスター生まれ。
 ブリストル大学医学部で学んだ後、カーディフ大学大学院でジャーナリズムを専攻。イギリスのテレビで「The Great DomeRobbery」(02)、「The Menendez Murders」(02)、「The Day Britain Stopped」(03)、「The Man Who Broke Britain」(04)などのドラマ・ドキュメンタリーを監督する。本作『大統領暗殺』は、トロント国際映画祭で国際批評家賞を受賞した。
 彼は本作でも共同で脚本・製作を担当しているサイモン・フィンチと共に、バーロウ・フィルムズを2005年に設立。最近では「スクリーン・インターナショナル」誌で “2006年の明日のスター”として取り上げられ、「話題性のある問題を題材に、数々の画期的で説得力のあるドラマ・ドキュメンタリーを生み出したクリエイター。彼らの作品は、その妥当性、ナチュラリズム、誠実さから高い評価を受けている」と紹介された。イギリスではカーティス・ブラウン、アメリカではウィリアム・モリスに所属している。


 2007年10月19日、アメリカ合衆国第43代大統領ジョージ・W・ブッシュが暗殺された――という大胆な設定で、ドキュメンタリー手法で撮影された前代未聞の超問題作『大統領暗殺』。世界中で上映拒否された本作の英国人監督ガブリエル・レンジが来日、意欲的かつスキャンダラスな作品にあえて挑んだ理由を語ってくれた。


イギリスでは有名人のみならず、女王までも笑いの対象にするといったことは普通に行われているわけですが、今回はあまり寛容とは言えない国家のトップをターゲットに、シリアスな手法で描くとなると、当然ながら上映拒否があったり、激しいバッシングを受けることは予想されていたと思います。それでもあえて、この映画を撮ろうと思われた理由をお聞かせください。

 ブッシュを間抜けな形で描くような映画を撮るのは、逆に簡単なことだと思うんだ。実際、そういう作品はあったと思うが、この映画でやろうとしたことは、もしブッシュが暗殺されたら、その後でどういうストーリーが生まれるだろうという前提で考えたんだ。あくまでリアリティを大切にしながら、今のアメリカのあり方を描こうと思った。確かにこの映画は、ブッシュ大統領の暗殺から始まっていて、それは扇情的なことだ。ただ、その扇情的な要素には十分な理由があると感じたんだ。そして、ブッシュ政権がここ数年どういう行動をとってきたかということを問いかける上で的を得た方法だとも思った。このドキュメンタリー的な手法をとることによって、メディアが現実をどういう風に伝えてきたということをよく表現できているはずだ。それは、9.11以降のブッシュ政権がメディアを操作して特殊なムードを生み出すことに成功したという現実を映すものでもある。
 映画が公開されてから出てきた反応で驚いたのは、我々のブッシュの描き方は彼に対して優しすぎる、賢く知的に描きすぎていると、リベラルなマスコミから批判されたことだった。僕らはそんなつもりは全くなかったんだけどね。


このような映画を製作するというのは、資金繰りの面で苦労があったのではないでしょうか?

 一緒に映画を製作したサイモン・フィンチが、イギリスのチャンネル4に話をもっていくことを提案してくれて、そうしてみたところ、彼らは「アイデアとしては危険だが、十分アピール力がある」と言い、扇情的なアイデアを気に入ってくれて、全面的に資金援助をしてくれたんだ。ただ、映画が公開された後にアメリカで起きた反応を見ると、アメリカでこの映画を製作しようとしていたら、資金を捻出することは不可能だったろうね。


ブッシュを知的に描きすぎたかもしれないということですが、実際にこの映画でブッシュの新たな側面を見たというか、魅力的にさえ思えた部分もありました。これまでいろいろな映画作家がブッシュを描いてきたと思いますが、彼は監督の目にどのような人物に映りましたか?

doap この映画を作るにあたって、フィンチと一緒に何百時間ものアーカイブ映像を見たし、さまざまな機会にブッシュの映像も撮りに行ったわけだが、それを通して僕が得た感想は驚いたことに、ブッシュにはカリスマ性があるということだった。実際、彼は生で人々に接すると、実に巧みに振舞うんだ。側近からも良い言葉が返ってくるし、決断の速さや信念の固さなどもあって、尊敬されているのが伝わってきた。取材を通して、イメージしていたこととは全く違うものが見えてきたんだ。それには本当に驚かされた。我々がよく目にする10~15秒くらいの映像だと、彼は英語力に問題があったりなどして、どうしても間抜けな印象を受けてしまうわけだが、実際には全く間抜けな人物じゃなかった。政治ジャーナリストやコメンテーターの話を聞いても、ブッシュはそういう間抜けに見える側面を利用しているんじゃないかという意見が出てくる。僕もそれはあり得ると感じた。つまり、カントリー・ボーイだったり、人々に普通の言葉で話しかける普通の男のようなイメージを利用しつつ、民衆に対しても敵に対しても、自分を過小評価させることで、何らかの利を得ているのは確かだと思う。


今回の映画は事件を追うことに終始していますが、どうしてそうしたのですか? アメリカという超大国の大統領が暗殺されたということで、世界の反応も描くことは出来たと思いますが、何故そうされなかったのでしょうか?

 これは世界に対する影響を想像する映画ではなく、アメリカ国内で暗殺がどういう影響を与えるかということを検証するのが目的だった。イラク戦争および対テロ戦争が、アメリカ国内においてどういう影響を与えたかということを検証した映画だと思っていただければいい。未来を見据える映画というよりも、未来を利用しながらアメリカ国内の現在あるいは過去に起きたことを映しているんだ。


タイトルですが、現役の大統領を対象にしながら、何故“the President”ではなく“a President”にしたのですか?

 実は、ケネディ暗殺に関してウィリアム・マンチェスターが書いたとても有名な本があって、それのタイトルが「The Death of a President」なんだ。たぶん、それを意識したということはあるね。それに、これはある意味、ブッシュの暗殺についての映画というよりも、ブッシュ政権がアメリカの価値観、特に憲法に対して与えたダメージを表現しているものだ。この映画ではさまざまな問題が提起されているが、ブッシュ政権がテロリズムと戦うという名目でいかに憲法を無視しているかというところに全てはつながっているんだ。


ブッシュが暗殺された日として、2007年10月19日を選んだのは何故ですか?

 これは、自分たちが世界情勢を的を外れずに予測できる範囲で、将来の日付を設定したいと思ったことにある。今年の10月19日には、おそらくイラクは未だ平和とは程遠い状況だろうし、米軍も駐屯しているだろうと予測できたし、実際その通りになっているね。ただ、1ヵ月前の状況と少し変わってきているのは北朝鮮情勢で、予想していたよりはましになってきていると思う。それは予想が外れて、逆に喜ばしいことだ。


この映画は、あたかもドキュメンタリーであるかのようにとてもリアルで、どこまでが本当でどこまでが嘘か分からなくなるほどでした。

 ニュースというのは結局、基本的に出来事を要約・解釈したパッケージであるということを忘れがちになるものだね。それはテレビのニュースも同じことだ。ある解釈だということを忘れがちになる。新聞もそうで、ある出来事をジャーナリストが解釈して発表しているわけだ。また、カメラは嘘をつかないという幻想があるし、この映画で見られるような編集の力についてもしばしば忘れられてしまう。この映画では、特殊効果はほとんど使っていないけど、いろいろなアーカイブの映像を用い、編集の力でその意味を変換できるということを意識的に行った。ボイス・オーバーを使うこともできるし、チェイニーのスピーチの中で、たった二つの言葉を変えるだけで、全く違う意味をもたらすこともできるわけだ。


この映画を発表してから、アメリカに入国するときに、今そこにお持ちのMacをスキャンされたり、尋問を受けたりなどされたことはありませんでしたか?

 映画の製作後には、確かに僕もそうした懸念を感じた。アメリカに入国する度に、入管で小部屋に連れて行かれてオレンジ色のジャンプスーツを着せられてしまうんじゃないかという不安は毎回ぬぐえないんだけど、今のところは大丈夫だよ(笑)。


社会や政治が問題を抱えているのは世界中どこでも同じだと思いますが、これから映画を観る日本の観客に対して、どのようなことを伝えたいですか?

 まず我々は、メディアや配信されているニュースに対して疑念を抱くべきだ。アメリカにおいてはイラクへの侵略に関してなど、さまざまなメディア操作を行うことに現政権は成功したわけだね。嘘をパッケージ化して国民に伝えるためにメディアを利用したし、メディアのほうもそれに加担したという状況がある。戦争に至るまでのステップを疑いをもって検証することを怠ったわけで、政権はそんなメディアを巧みに利用したわけだ。
doap そうしたメディアのあり方は、アメリカでも日本でもイギリスでも起こり得るわけで、もしも日本の観客に対してメッセージがあるとしたら、それは国際的にも通用すると思う。僕が言いたいのは、まずは伝えられた情報に対して常に疑念を抱き、自分で見極めることが必要だということ、そして現実が歪曲される可能性を意識すべきだということだ。それは、24時間ニュースが流れているような現在の状況の中では特に必要だと思っている。逆に、メディアのほうも出来事を検証せずにそのままたれ流しにしたり、ミスを犯すことももちろんある。リアルタイムにニュースを求めるような人々の貪欲さがプレッシャーとなって、メディアもそれを満たすためにニュースを追いかけ続けるという状況があるのではないかな。ジャーナリズムには常にそういった問題があるわけで、まずはニュースを頭から信用せずに自分の目で見極める努力をすべきだと思うね。
 長すぎて申し訳ない(笑)。「全てに疑問を抱いてほしい」と言うだけで良かったのかもしれないけど、それでは十分じゃない気がしたんだ。


ファクトリー・ティータイム

 いたずらに扇情的なのではなく、現状に対する純粋な批判精神と、ユニークな映画的手法へのチャレンジ精神から生まれた映画であることは明らかだ。監督にお会いし、そのお話を伺っても、若きクリエーターの熱い想いが十分伝わってきた。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)



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