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『ベクシル 2077 日本鎖国』
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2007-08-10 更新

曽利文彦監督


ベクシル 2077 日本鎖国vexille
© 2007「ベクシル」製作委員会
配給:松竹

曽利文彦監督

 1964年生まれ。
 96年にジェイムズ・キャメロン創設のデジタルドメイン社に参加、『タイタニック』のCGアニメーターを務める。
 以降『アンドロメディア』(98)、『秘密』(99)、『 ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』(2000)といった映画や、『百年の物語』(00)、『ビューティフルライフ』(00)、『池袋ウェストゲートパーク』(00)といったドラマでVFXを担当。
 02年には『ピンポン』で映画監督デビュー、その斬新な映像が大きな話題を呼んだ。



 2002年に初監督作『ピンポン』でその卓越した映像感覚が大きな話題を呼んだ曽利文彦が、劇場用アニメーション映画『ベクシル 2077 日本鎖国』を完成させた。鎖国中の近未来ハイテク国家日本を舞台としたストーリーと、世界最先端の3Dライブアニメーションという技術は、あらためて日本の映像作品としてクオリティの高さを実感させてくれる。また、世界中のトップ・アーティストがオリジナル楽曲を提供するなど、各国の才能から認められ、75ヵ国での公開がすでに決定している。何故今ベクシルに才能が集まってくるのか? 世界でもトップ・クラスの知識と能力を持つといわれる映像クリエーターが、自らの最新作について語ってくれた。


今回の作品は、鎖国をした近未来の日本に対して外国がアクションを起こすというかなり特殊な設定ですが、このようなストーリーを考えたきっかけはありますか?

 主人公のアメリカ人が日本にやってくるといった話は、何回もハリウッド映画で描かれています。『ラスト サムライ』とかはそうですよね? そういったストーリーには何か違和感があり、何となく外国人が日本に来ましたというような印象が強いのですが、それを逆手にとって、主人公の外国人が日本にやってくる映画を日本人が作る、これをちょっとやってみたかったという部分はありますね。
 アニメーションはインターナショナル・コンテンツに成り得るものですが、『ベクシル』も製作当初から世界をすごく意識した作りになっていて、世界中の人に見てもらうことを前提に作っています。ハリウッドもインターナショナル・コンテンツですが、それゆえに“アメリカが一番です”“アメリカは最強で、一番素晴らしい国です”という作品を何本も作るわけです。ですから、日本発のインターナショナル・コンテンツを作るときにも、“日本バンザイ!”といった内容の映画を作ってみたい気持ちはありますね。ただ、日本人が“日本バンザイ!”の映画を作るときには、“日本が最強です”とか、“日本が一番です”とは言わないだろうというか、自分自身も作れない。日本人の美徳は、日本が最強であることを誇るのではなく、日本人の奥ゆかしさや恥の文化、謙虚さ、優しさ、自己犠牲……そういったことを誇る、それが“日本バンザイ!”の映画だろうと思います。ですから、『ベクシル』は、日本人讃歌をすごく描きたいがための設定やストーリーとなっています。
 この作品を観た世界中の人たちがどのような印象を持つのか?はこれからですが、日本の文化をすごくアピールしている作品にしたかったという思いがあります。ある意味では“俺! 俺!”といった感じではなく、無国籍感の中で日本が際だつという作りがすごく面白いし、日本人的だなと思いました。


現在から60年~70年後という設定はそれほど先のことではないですが、あえてこういった時代設定にした理由はありますか?

 『ベクシル』は、2067年から2077年まで日本が鎖国をしていましたという話ですが、自分自身にとっての60年後は、一生懸命に生きていたとしてもギリギリ生存していることができる瀬戸際だなと思いました。自分の目で見られるかもしれない時代はとりあえず自分の目で確かめたいですが、そこから先は自分にとってはSFになってしまいますからね。もう自分がいないかもしれない2067年からお話をスタートさせたのは、そのような理由ではあるのですが。
 自分が子どもの頃には、例えば30年後の未来というと、たかだか30年でそんなことが起こるわけがないのに、車が空を飛んでいるようなとんでもない時代が来るだろうみたいなことを信じている人が、世間には結構いたかもしれません。でも、今の時代はテクノロジーも頭打ちみたいなところもあり、だんだん先が予測できるようになってきたので、70年後といっても予測できない未来ではないですよね。そこが、すごくリアリティのあることだと思います。ですから、『ベクシル』みたいな作品を作るときには、大きく変化していくであろうものとほとんど変わらないであろうものは、何となく予測が付く気持ちがするのですよね。そういった予測に従って、デザインやキャラクターを配置していったということはありました。


主要キャラクター3名の内2名が女性ですが、女性をクローズアップされたかったのですか?

 それは両方ありますね。男性が作ると女性の主人公をすごく美化してしまうので、ものすごく強い部分を前面に打ち出しているところもあります。ですから、女性の方が見ると“いやぁ、これはちょっと……”という部分もあるかもしれませんが、男性が見た女性の強さやドライなところを『ベクシル』の中に込めた側面もありますね。逆に、男性であるレオンというキャラクターは、自分から見ると非常に生々しい男性像です。外見は非常に屈強で力強いのですが、内面は非常に脆くてナイーブで、しかも優柔不断だったりする。そういった男性の象徴のような存在として、レオンというキャラクターがいるわけです。


理想の女性像みたいなものが込められているのでしょうか?

 自分の理想かどうかは別にしても、ジェイムズ・キャメロンの影響はすごく強いと思います。ジェイムズ・キャメロン監督は、『ターミネーター』でも『エイリアン2』でも強い女性を主人公にして映画を作っている。自分で映画を作っていても、そういったところには非常に影響されていると思います。それから、すごく強い女性でも身体能力的には男性より少し弱いわけですが、それでも内面的には強靭な存在は、映画のモチーフとしてすごく面白いと思いますね。


『ベクシル』を作るきっかけは?

 そもそものきっかけは、『APPLESEED アップルシード』という映画をプロデュースして、3Dライブアニメを推し進めていこうと思ったことです。以前、南カリフォルニア大学の映画学科に通っていたのですが、その時には日本のアニメーションをCGで描くことが自分の研究テーマでした。帰国後、それを推し進めて形にしたのが『APPLESEED アップルシード』で、これを継承していくためにも3Dライブアニメを更に広げようと考え、今度は自分で監督をしようと思いました。監督をするのであれば、3Dライブアニメにとってベストなストーリーはどういうものか、自分自身で考え出したのが『ベクシル』のストーリーです。


登場人物の中で、ベクシルという名前だけはちょっと変わっていますが、何か意味はあるのですか?

 フランス語で小さな羽、隠し羽、羽盤みたいな意味があるのですが、古くは戦いのときに振った旗、軍旗のことをベクシルと呼んでいました。ドラクロワの絵にあるように、旗を掲げた戦う女神像のようなイメージが込められていて、ジャンヌ・ダルクのような強い女性が旗を持って先頭に立つ、そういったイメージを込めたネーミングです。


技術的に他の追従を許さないような、そしてとても苦労したシーンはどこですか?

 まず、日本にはこのクオリティで映画を作れるスタジオは、他にはないと思います。その点は誇れると思いますね。私たちのスタイルや表現力は国際的に見ても非常にユニークで、この形で映像を作っているスタジオは世界中どこを捜してもありません。ですから、技術というよりもスタイルとして誇れると思いますし、ひとつの文化のジャンルとして成り立つものだと思っています。技術的なことは本当にいっぱいあります。例えば、キャラクターを動かしていく技術、キャラクター・アニメーションの技術が日本は非常に後手に回っていて、欧米に比べて技術的に劣っているのですが、私たちのスタジオは欧米の技術水準に非常に良く追随している、国際水準に迫る、もしかしたら超えているところまで来ているかなと思います。


技術面以外で、日本のアニメの魅力はどこにあるとお考えですか?

 日本のアニメーションは、アニメでしかできない表現力を備えていると思います。カメラ・ワークなどに関しても、日本アニメ的な表現はある種のスタイルとして確立しているので、例えばとても気持ちが良くなるような、実写では出来ない表現がとても多く含まれていると思います。ただし、『ベクシル』については実写映画だと思って作っているので、そういった日本アニメ独特の表現力は全て封印し、逆に、実写に置き換えることが出来るスタイルで撮っています。アニメーションならではの親しみのあるフックを、より人間に近づける技術は既にありますし、我々の中でも実現できますが、逆にそれをあえて記号化する方向で押さえて、『ベクシル』というスタイルに持ち込んでいます。そうすることによって、より感情表現がスムーズに人に繋がるように工夫しました。もちろん、もっとリアルに顔を動かすことも出来るのですが、そうなってくると正直言ってちょっと気持ち悪い(笑)。映画を観るどころではなくて、ずっと顔の表情が気になってしまい、似ているとか似ていないとか、生々しいとかリアルとか、そういうことだけが頭をよぎる作品になってしまうのですね。それでは、作り手が意図するところと違う形で受け入れられてしまいます。自分たちは技術見本市みたいな映画を作るつもりは全くなく、ひとつのエンタテインメントの形として純粋に受け入れられればいいなと思っています。


日本のアニメというと“萌えアニメ”が有名ですが、このことについてはどう捉えていますか?

 本当に好きなものは皆それぞれで、自分が好きだと思えるものを支持していけることはすごく幸福だと思います。ですから、“萌えアニメ”が好きな人たちはそれをとことん追求すればいいと思いますし、それが世界的に広がっているのであれば、ひとつの文化だと思います。
 ただし、自分自身はどちらかというと実写やリアルなもの、人間にすごく興味がありますから、より人間的なもの、リアリティのあるものを表現していきたいと思っています。だから、自分にとっての『ベクシル』は実写映画ですし、キャラクターの造形も内面はリアルです。擬人化や記号化を推し進め、人間ではないところに到達してしまったものが好きな方も多いと思いますが、それはそれで本当に好みの問題です。でも、自分自身はリアルな人間、例えばこういうアニメーションをやっていても、そのリアリティ、人間そのものに対する興味は尽きないですね。


登場人物のキャラクターがすごく魅力的ですが、モデルにした実在の人物はいますか?

 メイン・キャラクターにモデルはいませんし、誰にも似ていない人たちだと思っています。ただ、先にいるキャラクターの声を女優さんや男優さんに担当していただいたのですが、例えば、ベクシルを担当していただいた黒木メイサさんには、なぜかベクシルと非常によく似ている瞬間がありました。それはすごく面白いし不思議なことですが、同時に光栄なことだなと思います。マリアを演じていただいた松雪泰子さんも全く同じで、途中でマリアなのか松雪さんなのか分からないような錯覚に陥ることもありましたし、谷原さんもそれは同じです。キャラクターのイメージに、声や演技だけではなくルックスを含めたイメージがシンクロする人たちをあえてキャスティングしたかったんですね。ですから、そういった思いで主要キャストを演じいただいた黒木さん、谷原さん、松雪さんには当然起こり得ることだと思いました。


先ほどのお話と重複する部分もありますが、ハイテクな映画なのにアナログな、自己犠牲というか侍みたいな感じがしました。日本人の美徳をアピールするために、そのような台詞を入れたのでしょうか?

 自己犠牲が良いことだと強く打ち出すつもりはありませんが、マリアとベクシルは一見性格が違うように見えますが、同じような性格の二人だと思っています。一方には自由奔放に生きているベクシルがいて、一方にはいろいろなものを背負っていて、しかもそれがあまりにも大きいので自分を押し殺してクールに生きるしかない定めを持ったマリアがいる。この2人のコントラストがすごく切ないですね。同じ人間であっても、自分がおかれたシチュエーションや立場によって、背負わなければいけないものがある瞬間があれば背負う人はやはり出てくるわけです。背負わずに逃げてしまう人もいますが、きちっと自分自身の責任を、自分のためではなく、全体のために果たせる人間というのは、それはそれですごいなと思います。
 そのことは、日本人であるとか、アメリカ人であるといったこととは関係ないと思いますが、マリアのクールな一面が決して真実ではないというところが、やはり切なさに繋がっていますね。


VFXやCGのスーパーバイザーから本編の監督になられたわけですが、同様の経歴の監督の作品には首をかしげざるを得ないものも見受けられます。監督としても素晴らしい作品を作り続けている秘訣、意識などはあるのでしょうか?

 他の方のことはよく分かりませんが、CGや特撮をやって来ましたが、それは映像文化そのものが好きだからです。その中のひとつとして仕事としてやっていたわけですが、CGや特撮だけが好きだったわけではありません。映画作りそのものがすごく好きで、ずっと映画をやりたいと思っていたし、まして監督をやりたいと思っていたからこの業界にずっといたので、CGや特撮をやっていましたがそれだけに囚われていなかったところが、もしかしたら他の方とは違っていたのかもしれません。結果的に映画監督になりましたというのではなく、映画監督になりたいから特撮監督をやっていましたみたいな部分はありますね。
 ですから、特撮監督をやっていながら演出家のつもりで映画と取り組んでいたので、内容にすごくこだわっている部分はありましたね。映画のとらえ方は人それぞれだし、作り手側にもいろいろな解釈があると思いますが、自分としては映画とはストーリーを映像で語っていくものだと解釈しています。一緒に仕事をしていると感じることがあるのですが、特撮などを手掛けていた監督には、記号的に捉えるのであれば割とモノに関心のある方が多いと思います。自分は人間に関心があるので、そこが違います。宇宙船やメカにすごく関心のある人の作品と、人間そのものに関心を抱いてこの世界にいる人の作品とでは、ちょっと違うのかもしれないですね。


子どもの頃に見た、特撮やCGに関心を持つようになるきっかけとなった作品はありますか?

 親の影響なのかも知れませんが、2歳半の頃から映画館に行き、怪獣映画を見せられたりしていました。その頃から映画館に行っている記憶だけはあるので、映画が好きだったことは間違いありません。ただし、映画監督になろうと思うきっかけになったのは、中1の時に見た『未知との遭遇』です。自分にとっては、これがすごく大きかったですね。今、日本には同い年の監督が多いのですが、皆同じ映像体験をしています(笑)。だから、自分より年下の監督と、自分より年上の監督では、作るものが全く違っていると思います。そのことを強く感じますね。なぜかというと、ルーカスやスピルバーグに影響されてこの世界に入った人があまりにも多いんですよ。『スター・ウォーズ』はアメリカ公開の1年後に日本に来たのですが、アメリカで大ヒットしていると聞き、観たくてしょうがありませんでした。ところが、先に『未知との遭遇』が日本に来たので、『スター・ウォーズ』を待ちきれずに『未知との遭遇』を見たら、『未知との遭遇』のほうにはまってしまいました。春に『未知との遭遇』を観て、夏に『スター・ウォーズ』を観たのですが、『スターウォーズ』がすごく子どもっぽく見えましたね。だから、すごい『未知との遭遇』派だったのです。『未知との遭遇』から、映画の裏側や映画の作り方、スピルバーグという人物に対しても関心が高くなり、“スピルバーグはどうやって監督になったのか?”とか、そういうことばかりをいろいろな文献を読んで調べました。ハリウッド自体の歴史も、ルーカスやスピルバーグが変えてしまったことは間違いありません。その洗礼をもろにかぶった日本の世代が、自分の横並びの世代なんですよ。『ALWAYS 三丁目の夕日』の山崎 貴さんも、『日本沈没』の樋口真嗣さんも、皆同じ世代です。今の日本には、あまりにも自分と同年齢の監督が多いのですが、それはたぶんそういう理由だと思います。時代はこうやって巡っていく、間違いないですね(笑)。


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 実写の大作映画にも全くひけを取らない『ベクシル 2077 日本鎖国』。技術面でのクオリティはもちろんだが、それに溺れることなく人間描写を探求する曽利監督だったからこそ出来たのだろう。先に公開されたフランス製アニメーション映画『ルネッサンス』と共に、この夏アニメに興味のない大人にこそ鑑賞して欲しい力作だ。

(取材・文・写真:Kei Hirai)





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