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『ブラインドサイト ~小さな登山者たち~』インタビュー

2007-08-08 更新

サブリエ・テンバーケン、ポール・クローネンバーグ


ブラインドサイト ~小さな登山者たち~bs
© MMVI by Robson Entertainment. All Rights Reserved
配給:ファントム・フィルム

サブリエ・テンバーケン

 12歳で視力を失い、盲目は障害ではなく、性格的特性だと教えられて育った。その結果、サブリエは地球上で遠隔の地と言われている場所において、盲人に対する考え方を完全に覆すことに成功した。
 チベット初の盲学校と活動団体である “Braille Without Borders(国境なき点字)”を立ち上げる。この画期的な活動力は、発展途上国における視覚障害者用の教育施設の設立のモデルとして国際的に受け入れられるようになる。子どもたちはこの学校でチベット語、中国語、英語での読み書きを習う。さらには目の見える人々の世界で、盲目の人が独立した生活を送るためのツールが提供される。創立9年となるが、卒業生の中には起業し、家族を経済的に支えている者もいる。各国の政府は、自国に同じような学校を設立してほしいと依頼をしており、現在はインドのケララ州で新しい学校の設立に向けて準備を進めている。
 彼女の功績は世界的に賞賛されており、2004年はヨーロッパとアジアの「タイム」誌で「ヒーロー・オブ・ザ・イヤー」として特集が組まれ、2005年にはノーベル平和賞にノミネートされ、世界経済協議会ではヤング・グローバル・リーダーに選出され、オープラ・ウィンフリーの「オープラが紹介したい8人の女性」に選ばれた。2006年8月には、マザー・テレサ賞を二つ受賞、ひとつは彼女自身、そしてもうひとつは「国境なき点字」に授与され、ひとりの女性が同じ年に2回受賞する初の快挙を成し遂げた。


ポール・クローネンバーグ

 1998年より、サブリエと共にチベットで「国境なき点字」学校の創設に取り組んできた。公私共にサブリエのパートナーである。
 シガツェでは、スイス赤十字の施設の建築、そして建築コーディネーターとして技術面をサポート。
 大学では4部門、メカニカル・エンジニアリング、コンピューター・サイエンス、商業テクノロジー、コミュニケーション・システム・サイエンスを専攻。大学時代には、アフリカ、東欧、チベットなどで行われたプロジェクトに参加。発展国において、経理、オフィス業務、コンピューター技術などの訓練を行っている。
 「国境なき点字」においては、広報と資金調達に加えて、チベット語の点字本の製作をスタートさせた。「国境なき点字」に関連する建設プロジェクトを全て監修している。



 チベットに生きる盲目の子どもたちが、標高7000メートルのラクパリ登山に挑戦する姿を描いたドキュメンタリー『ブラインドサイト ~小さな登山者たち~』。自らも盲目でありながら単身チベットに渡り、チベット初の盲人学校「国境なき点字」を設立してさまざまな活動を続けているドイツ人教育者サブリエ・テンバーケンと、彼女の公私にわたるパートナーで「国境なき点字」を共に運営しつつ、多くのプロジェクトに参加しているポール・クローネンバーグが、登山の経験によって得た思いや子どもたち、映画について語ってくれた。


サブリエさん、大学でチベット学を学んだということですね。西洋の方が学ぶにはかなり特殊な学問だと思いますが、チベットのどういうところに魅了されたのですか? また、実際に行かれてどのような印象を抱かれましたか?

サブリエ・テンバーケン: 私自身が特殊な人間だし(笑)。発展途上国で役に立つことをしたいとずっと思っていて、チベットはまだ手付かずの状態だったから、そういう場所で何かしたかったの。私にとってチベットという国はすごく心惹かれる何かがあり、冒険心をかきたてられる場所でもあったわ。まずはチベットのことを学んで、その後には他の国についても学んでいきたいと当時は思っていたの。
 とにかく、他の人の助けを借りずに一人でチベットを旅するためにもチベット語を学ぶ必要があった。言葉が分からなければコミュニケーションがとれないから。それで自分がチベット語を学ぶためにチベット点字を作ったんだけど、その過程で、そもそもチベットには点字が存在しないということを知り、それをチベットに持ち込もうと思ったの。
 初めてチベットに行ったときの印象は、驚くほどほとんど匂いがないということだったわ。標高が高くて空気が乾燥しているせいなのかもしれない。日差しがとても強くて、お天気が良いのも印象的だった。チベット人は興味深い人々で、すごくフレンドリーな反面、特に盲目の人たちはなかなか心を開いてくれないこともあったわね。彼らの多くがこれまでいろいろと辛い目に遭ってきたからだと思うけど。


最初にエリック・ヴァイエンマイヤーさんに手紙を出してワークショップを依頼したとき、今回のように登山をするというところまで想像されていたのでしょうか? 実際にエリックさんからお話をもちかけられたときにはどう感じましたか?

サブリエ・テンバーケン: 初めて彼の話を聞いたときには、全く乗り気になれなかったわね。そもそも7000メートルもある山に登る必要があるのかと疑問だったから。そんな危険なことをしなくても、“カイラ巡礼”と言って、聖山を巡れば悪いカルマを断ち切ることが出来ると信じられている巡礼もあるので、それで十分じゃないかと思ったの。それだって子どもたちにはかなりの冒険だし、でも今回のような登山ほど危険ではないわけだから。大体、私たちは登山家ではなく社会活動家であって、子どもたちをそんな危険な場所に連れていきたくはなかったのよね。でもエリックは、「それほど大変なことじゃないよ。日曜の午後にちょっと出かけるハイキングみたいなものだから。晴れた日に楽しく歩こうよ」みたいなことを言ったので、その言葉に丸めこまれてしまったということはあるわね(笑)。
 それと、別の理由もあって、子どもたちはヒマラヤで育っていて、そこが生きていく環境なので、彼らは山のことを、その怖さも含めて知るべきなのよ。例えば、日本の大都市に住んでいる盲目の子どもたちは交通量の多い場所で道路を渡らなければならないわ。彼らは都会の危険に対処できなくてはいけない。それと同じように、チベットの子どもたちは彼らにとっての危険の中で、できる限り独立して生きていく技術を学ぶ必要がある。だから、登山に挑戦してみることに同意したの。


6人の子どもを選定するにあたっては、どういうことを基準にしたのですか?

ポール・クローネンバーグ: まずは希望した子たちということがあったね。だって、無理矢理やらせるわけにはいかないから(笑)。あとは客観的に見て、これに耐えられる能力・体力があるかどうかということ。あまり小さすぎても駄目だしね。

サブリエ・テンバーケン: 14歳から18歳、19歳くらいの子どもたちを選んだわ。独立心があって、しかも、危ない状況でちゃんとコミュニケーションをとれるだけの英語力がないと無理だったので、英語を理解できるということも最重要だった。
 皆さんも映画をご覧になっているからお分かりになると思うけど、タシに関しては、私たちの選別の基準に合っていない子だった。英語力も体力的にも他の子たちより劣っていたから。ただ、彼にはストリート・チャイルドというバックグラウンドがあって、学校に来た当初は非協力的で問題を起こしていたし、他の子どもたちとうまくいかず、みんなからあまり好かれていなかったんだけど、その後、大きな成長を見せてくれたのよね。とても社交的で協力的になったし、自分よりも弱い他の子どもたちを喜んで助けることもするようになったの。だから、ご褒美と言ったら言い過ぎかもしれないけど、私たちは彼の可能性を生かしてあげたいと思って、あえて選んだのよ。


7000メートルの山を登るというのはただでさえ辛いことだったと思いますが、一番危険だったことは何ですか? 登る前に体力作りは十分されたのですか?

サブリエ・テンバーケン: 実は体力作りはあまりやらなかったの……(笑)。毎朝、階段の上り下りみたいなことを10分間くらいやったりしたけど、その年は他にもたくさんのプロジェクトを抱えていて、登山のことはあまり考えている時間がなかったの。
 それにいずれにせよ、高い山を登るとき、体力作りをしたかどうかというのはそれほど重要なことではなくなるのよ。肉体がその標高に適応できるか否かということが問題になるの。例えば呼吸のトレーニングをすれば高山病を防げるというものでもなく、なるかならないかは実際に登ってみないと全く分からない。例えば、私はそれほど運動をする人間じゃないし、体力トレーニングもほとんどしていなかったのに、標高に適応できた数少ないメンバーの一人だった。私よりポールのほうが体力があったかもしれないのに、途中下山しなくてはならない状態になったわ。それに、何度も登ったことがあるからといって、高山病にならない保証は全くないものなのよ。

ポール・クローネンバーグ: 山を登っていると、目が見えるとか見えないとかはまるで関係なくなってくる。歩を進める毎に危険が潜んでいるので、目が見える人は数メートル先を歩くことに神経を集中させるし、逆にサブリエたちは目が見えない分、足の神経と聴覚を研ぎ澄ませ、すごい集中力で登っていくから、目が見えていようがいまいがどちらにしても、周りの風景を楽しむなんて余裕は全くなかったというのが事実だね。
 この映画は素晴らしいけど、ただ一つ残念だったことがある。それは、盲目の人たちの苦しみばかりが写されていたことだ。でも、見えている人たちも同様に高山病で苦しんでいたんだよ。僕もキーラと同じような症状があって、途中下山してしまった。全員が寒さにも苦しめられたし。実は、キーラとソナムが下山したときから5日間くらい大吹雪が続いて、僕もその間に降りたんだよ。つまり、何よりも大変だったのは高山病だったわけで、それは盲目であろうとなかろうと全く関係なかったんだ。


エリックさんは「山にいると自分が生きていると感じる」とおっしゃっていましたが、お二人や子どもさんたちは、この登山の経験から何を感じられましたか?

サブリエ・テンバーケン: そもそもエリックの立場はチベットの子どもたちとは全く違うわ。アメリカ人である彼は年中冷暖房がきいた大きな家に住み、飢餓を味わったことも差別されたこともなく、常に守られた生活をしてきている。日本の方たちもそうだと思うし、私の国ドイツやポールの国オランダでもそうよ。先進国と言われる国で生まれ育った私たちは“快適な空間”で暮らしている。常に守られ、柔らかな綿に包まれるようにしてぬくぬくと生きてこられた者たちなの。そんな中では“自分はこの世に存在している。この生はなんと貴重なものか”なんてことは考えたりしないわ。そうした恵まれた国で生まれ育った人たちが、命を落とすかもしれない危険な山にあえて挑戦してみたいと思うことについては、私も完璧に理解はできるの。
 でも、このチベットで育った子どもたちには、安全で快適な住環境なんてあり得ない。彼らには十分に暖房がきいた家なんてないし、お風呂もなければ、ここ日本に当たり前のようにある便座が暖かい清潔なトイレもない。それとは正反対に、差別や孤独、飢餓に苦しみ、時には死にも直面するような生活の中にあって、彼らが求めているのはスリルなどではないの。一緒に山を登るという行為は、友情や人間同士の交流、一体感、自分はチームの中にいて独りじゃないということを認識するためのプロセスにすぎなかったの。私たちはまさにそのことを彼らに味わってほしかったし、彼らはこの世で一人ぼっちなどではないということを感じてほしかった。彼らにとってはチームワークこそが“快適な空間”なの。
 快適に生活できる国からやって来た者たちは、快適な生活に改めてありがたみを感じるためにも危険が必要なのよ。つまり、西洋の国々、そこには日本も含められると思うけど、いわゆる文明社会に生きる者としての思考や習慣、目標を持っている私たちと、チベットに生きる子どもたちがこの登山の経験から得るものは全く違っていたと私は思っているの。


bs

6人の子どもたちはこの経験によってどのような変化がありましたか? 彼らの近況をお聞かせください。

ポール・クローネンバーグ: 登山で最も変わったのはゲンゼンで、もともとはすごくシャイで物静かな男の子だったんだけど、登山をした後はいきなりロック・スターのように歌い始めたりして、生き生きと自信に満ちあふれるようになったんだよね。その他の子どもたちは彼ほど大きくは変わっていないけど、自信を持てるようにはなったようだ。ゲンゼンは奨学金を得て、この夏マレーシアと日本に留学することになったんだ。点字出版の技術を習得するためにコンピューターを学ぶんだよ。
 キーラがイギリスに留学したことは映画にも出ていたけど、すでに帰国していて、僕たちの学校を運営するメイン・スタッフの一人になったんだ。
 ソナムは一般の学校に入ってクラスのトップで卒業し、今度高校に進むんだけど、通訳になる夢をかなえるためにアメリカに留学することが決まっている。
 タシとテンジンは二人でマッサージ店を経営していて、タシは店長でテンジンは経理を担当している。とても繁盛しているらしいよ。
 ダチャンは今北京にいて、本格的にマッサージの勉強をしている。


子どもたちが精神的にタフになったことは分かりましたが、サブリエさんご自身は登山を経験して、考え方などが変わった部分はありますか?

サブリエ・テンバーケン: 登山をしたから変わったというよりも、この映画のおかげでいろいろと状況は大きく変わったわね。日本を含め、いろいろな国に行って話をする機会が増えたし。あとは、山を登ったこの年には他にもさまざまなことが起きたということもあって、もう1冊本を書いたの(註:サブリエはすでに1冊本を出版している。「わが道はチベットに通ず―盲目のドイツ人女子学生とラサの子供たち」風雲舎、2001年)チベットに対する見方を新たに整理して書いたわけだけど、登山についてはほんの少ししか触れていないわ。確かに、この映画で状況が変わったということはあるかもしれないわね。


この映画が映画祭などで大きな反響を得たことで、現在の活動がやりやすくなったということはありますか?

サブリエ・テンバーケン: そうなることを願っているけど、そう言えるにはまだ早すぎるわ。この映画が世に出てまだ1年しか経っていないし、トロント映画祭で初めて公開されて以来、映画祭で上映されているだけだから。劇場公開としては日本がワールド・プレミアになるの。今後、この映画が「国境なき点字」の活動に良い影響を与えてくれるといいとは願っているけど、まだ何とも言えないわね。でもおそらく、あなた方のウェブサイトが力になってくれるんじゃないかしら(笑)?


チベットの盲目の子どもたちに接して、彼らからお二人が得たものは?

サブリエ・テンバーケン: いつも一番驚かされるのは、社会から差別を受けて辛い思いをしてきたにも関わらず、彼らが常に強く前向きに生きていることね。今や、「私たちは盲目だ。盲目の人々に平等の権利を!」と政府に訴えかけるほど強く闘っている姿を見ると、本当に心動かされるわ。私はドイツで良い教育を受け、ずっと守られて生きてきた。でも、彼らに接して思うのは、良い教育や守られた生活が必ずしも強い人間を作るのではないということね。もしかしたら、一回どん底に突き落とされて困難を味わい、そこからたくましく這い上がってくるのは人間の成長に必要なことなのかもしれないと、子どもたちに接していると感じるの。

ポール・クローネンバーグ: 僕は何よりも、子どもたち同士の交流の仕方が素晴らしいと感じている。彼らは年齢に関係なくお互いを敬い、ケンカなども全くしないし、常に向上心を持っている。電気を消して「もう寝る時間だ」と言っても、彼らは暗闇の中で本を読めるので(笑)、そうやって努力を惜しまずに勉強を続け、常に成長することを目指しているんだ。向上心にあふれた彼らに接していると、僕も感化されてエネルギーをもらい、この活動を続けていこうという気にさせられる。
 僕らのウェブサイト(http://www.braillewithoutborders.org/、外部サイト)には「国境なき点字」の活動に関する詳しい情報があるので、できればあなたたちのウェブサイトにリンクを貼っていただけるとありがたいね。僕たちの活動についてもっと理解していただけると思う。


bs

これから映画をご覧になる方々に向けて、メッセージをお願いいたします。

サブリエ・テンバーケン: ぜひこの映画をご覧になり、盲目や盲人に対して皆さんの見方が変わることを、心から願っています。盲目であるということは、実は重要ではありません。盲人も一人の人間であり、元気なときも怒るときも、ピリピリするときもあります。そして、とても良い人間でもあり得るのです。

ポール・クローネンバーグ: (映画の予告風口調で)お見逃しなく。『ブラインドサイト』近日公開!

サブリエ・テンバーケン: 全く、もう……(笑)。


ファクトリー・ティータイム

 サブリエさんほどの勇気と実行力、そして献身の精神を持つ者がこの世にどのくらいいることだろう。しかも、彼女は盲目なのだ。圧倒的なパワーと情熱を感じさせてくださったサブリエさん。一方、ポールさんはいつも少年のような笑顔をたたえて、サブリエさんを優しく見守り、彼女が激しくヒートアップしてしまったときにはさりげなくなだめながら、楽しい雰囲気に持っていく人で、常にそばで支えてくれる彼がいるからこそ彼女も安心して生き生きと活動が出来ているのではないかと、お二人の姿を見ていて感じさせられた。実に素敵なカップルだ。
 明瞭な英語を話すサブリエさんだが、実はドイツ人。オランダ人のポールさんもドイツ語は自由自在だ。別れ際につたないドイツ語で話しかけてみたら、お二人でワーッ!とお話を始め、焦り……。「どこに行ったことがあるの?」「ハンブルク? あぁ、(サブリエさんに向かって)君のお兄さんがいるね」などなどたわいもない話をして、一瞬ながらごく普通の恋人同士としてのお二人の顔をのぞかせてくれた。

(取材・文・写真:Maori Matsuura)





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