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『ちいさな独裁者』都立西高等学校 特別授業

2018-11-30 更新

ロベルト・シュヴェンケ監督、篠田健一郎教諭

ちいさな独裁者hauptmann 配給:シンカ/アルバトロス・フィルム/STAR CHANNEL MOVIES
2/8(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開!
© 2017 - Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film

 終戦があと1ヵ月に迫った1945年4月のドイツ。偶然に軍服を拾った若き脱走兵は、同時にナチス将校の威光をも手に入れてゆくという驚愕の実話『ちいさな独裁者』のロベルト・シュヴェンケ監督が来日し、都立西高等学校の生徒と映画についてディスカッションする特別授業が行われた。


 本作は、第二次世界大戦で敗戦間近のドイツの脱走兵が、ナチス将校の軍服を拾ったことから、その威光までもを手に入れ、次第にその権力で傲慢な振る舞いをエスカレートさせてゆくという驚愕の実話を描いている。本作を観て“独裁者とは? パワハラとは?”どういうことなのかを話し合う特別授業を都立西高等学校の生徒と教諭が、来日中のロベルト・シュヴェンケ監督を迎えて実施した。参加生徒は1年生から3年生までの有志から成り、事前に本作を鑑賞したおよそ50名。

 篠田教諭の紹介でシュヴェンケ監督が教室に登場すると、生徒たちは拍手で迎えた。シュヴェンケ監督は「今日はありがとうございます。ディスカッションを楽しみにしていました」と一言挨拶し、早速、挙手した生徒たちから質問を投げかけられた。

 男子生徒が「この主人公はとても利己的な人間だと思いました。その利己的な人を描いて、何を伝えたかったのですか?」という質問に「この映画はギリシャ悲劇ではありません。ですから最後はバッドエンディングで決定ではないのです。誰も主人公のヘロルトを止めることをしなかった。その結果、あのような悲劇が起こったと思う」と答えた。

 主人公のヘロルトの人物像については「ヘロルトを最初に突き動かしたのは生き延びるためでした。戦時中でなければ、こういうリーダーシップは発揮されなかったかもしれない。彼の話であると同時に、一方でこの映画は周りの彼の行動を看過したという人の話でもある。また、リーダーシップとは自分のために何かをすることではなく、誰かのために力を発揮してこそリーダシップといえる」と語った。

 男子生徒の「主人公のヘロルトを疑いつつも周りの人間が従っていくのはなぜか?」という質問には「当時、終戦2週間前の頃はドイツで脱走兵が急激に増えた時期。一人でいる兵士=脱走兵とみなされ、銃で撃ち殺していいということになっていた。一人でいると生き延びられなかったから、誰かと一緒にいたかったという心理がある。だから、おかしいと思いつつも離れることができなかった」と答えた。

 男子生徒が「独裁者をなぜドイツ側の視点から描いたのか? その中で、大量殺人シーンなどを入れて批判されることはなかったか?」という質問には、「暴力描写を描くのを止めようかと悩みました。でも、全く描かないというのは、それもまた被害者に対する冒涜行為だと思った。この映画では暴力描写はごく短いシーンに抑えている。なので、穴のシーンでも、中で苦しむ人々はほとんど映していない。これなら、被害者の苦しみを作者が物語的にするために搾取することにはならない。暴力シーンを直接描くのではなく、想像力を働かせて観てほしい。それからドイツ側の視点から描いた理由は、ナチスの映画は多く撮られているけれど、悪いナチスという型が決まってきていると思う。加害者側から描くことで、また違うものが撮れると思った。僕が皆さんに聞きたいのは“あなただったらどうする?”ということを問いたかった」と答えた。

 男子生徒が「母国ドイツで自国のダークな部分を描いたのは、どういった思いから?」という質問には、「虐殺にはドイツの兵士は関わっていないという神話が長らくあって、学校も親もそういうふうに教えていた。しかし80年代に冷戦が終わり、ロシアが持っていた当時の写真や記録映像が出てきて、それで大量殺戮の現場の前で喜んでいるドイツ兵の写った写真が出てきて、今まで自分たちは嘘をつかれていたのだと知って怒りを覚えた。そして、このことを声高に批判する必要があると思いこの作品を撮った。ドイツ国内でもこの映画に賛同してくれている。なぜこんな映画を作ったかというと、こうやって問題について話し合うきっかけを作りたかった」とその理由について語った。

 男子生徒が「混乱の時代にカリスマ性を持った人が力を持つ、ということは今後も起こるとおもいますか?」と質問すると、「人類は歴史から何も学んでいないと思う。何もしなければこうなってしまうんだ、人間は本質的にこういうことを起こしてしまうものなのだ、ということを伝えたくてこの映画を作ったとも言える。現代においても、ごく簡単に“解決できるよ”と言うリーダーがいると思う。“どこかの誰か”のようにアメリカとメキシコの間に壁を作れば解決すると言ってるような、そんな言葉には注意しなければいけない」と生徒たちにメッセージを送った。

 男子生徒が映画の中で空爆を受けたヘロルトが傷ひとつ負っていないことについて尋ねると、「あの空爆でもっても、彼には傷ひとつなく、軍服も塵ひとつなく汚れることはない。そこでヘロルト自身もこの軍服の持つ力を確信したのだと思う。それがその後の暴走に繋がっている」と答えた。

 これまで生徒からの質問を受けていたシュヴェンケ監督から、今度は生徒へ「現代に生きる皆さんから見て、この映画をどう思いましたか?」という質問に、女子生徒は「彼が偽物であると気づきながらもヘロルトに従うキャラクターを見て、人間は大きな力に抗えない、特に日本人はNOといえない、とにかく周りに合わせていこうという性質があると思う。そこは直していかなきゃいけない、難しくても“NO”と言えるようにならなきゃいけない。日本人は戦争の被害者という意識が強くて、日本が中国などで行った虐殺だとかについて語り合うことがとても少ない、過去に犯してしまった罪にドイツはちゃんと向き合っているから、日本人も過去に自分たちがやってしまったことを考えないといけないと思いました」と感想を伝え、別の女子生徒は「第二次世界大戦でヘロルトのような独裁者が生まれてしまったこと、そしてこの映画を観て現代の日本において思ったことが、私たちが今日独裁者にならないと言い切ることができないし、独裁者を支えていないと言い切ることもできないと感じました。だからそのことを考えながら生きていかなければならないと思いました」と現代にも共通する問題を映画から感じ取っていた。

 感想を聞いた監督も「全くその通りです。そして権威というものには、これで大丈夫なのか?と問いかけることが重要なんです」と感慨深く頷いていた。

 最後に指導教諭の篠田教諭より「今日監督から聞いた話を自分の中で醸造させ、ぜひこれから大学生、社会人として成長後の糧にして欲しい」と授業をまとめた。

 生徒と監督が真剣に映画を通じて現代の問題を考えた特別授業は、熱気に溢れ、挙手した生徒全員が発言できなかったことを悔やみつつ大盛況のうちに幕を閉じた。


hauptmann


(オフィシャル素材提供)



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