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舞台挨拶・イベント

トップページ > 舞台挨拶・イベント > 『消えた声が、その名を呼ぶ』トークイベント付 特別試写会

『消えた声が、その名を呼ぶ』
トークイベント付 特別試写会

2015-12-04 更新

中井 圭×松崎健夫

消えた声が、その名を呼ぶthecut

配給:ビターズ・エンド
12/26(土) 角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか、全国順次ロードショー
© Gordon Mühle/ bombero international

 若き巨匠ファティ・アキン監督最新作にて、第71回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品・ヤング審査員特別賞受賞作品『消えた声が、その名を呼ぶ』。公開に先立ち特別試写会が実施され、トークイベントでは「映画評論家2人が、見どころを徹底解説!」と題して、メディアでの映画解説で活躍中の中井 圭と松崎健夫が、“映画ファンが『消えた声が、その名を呼ぶ』を見逃してはいけない理由”を語り合った。


映画の感想

松崎健夫: ファティ・アキン監督作はずっと観ているのですが、彼はトルコに出自のあるドイツ人で、そういったことをいつも描いていますが、今回はさらにワールドワイドになって、映画の広さがさらに広がった。肉親や恋人を求めて大陸を横断していくのは『母をたずねて三千里』や、日本だと南極まで歩いていく『復活の日』があります。こういった物語は波乱万丈になるのですが、この映画は背景も背景なので、波乱万丈にも程がある、という感じでしたね(笑)。

中井 圭: 第一次世界大戦の頃にアルメニア人虐殺という事件が起きていたということは、意外と日本では知られていないと思います。ストーリーが美しいのはもちろん、こうやって映画を観て世界を知ることができるのがよいなと思いました。また、どういった視点で描くのかを興味深く観ました。アルメニア系カナダ人のアトム・エゴヤン監督も同じアルメニア人虐殺をテーマに『アララトの聖母』を描いていますが、これはアルメニア人の視点。ファティ・アキン監督はトルコ系ドイツ人ですよね、被害者加害者の視点ではなくどうこの題材を描くのかを面白く観ました。これは歴史をどう解釈するのかにも関わってくるなと思います。

松崎健夫: この作品は、いろいろな国の映画人の協力を得て作っていますよね。アトム・エゴヤンもその一人で、過去にこの題材を描いたことがある人などの協力も得て、それによって多角的な視点を取り込もうとしたのかもしれませんね。


実は「西部劇」を意識!? “複雑な人間性、境界線の曖昧さ”が描かれている。

中井 圭: アキン監督は、本作でアメリカの西部劇を意識したと語っているのですよね。

松崎健夫: 西部劇では、やっつけるべき敵がいる。でも、本作は明確な敵がいるようでいないのが特徴。誰かを救出するというのも西部劇に多いですが、本作では娘を探しにアメリカまで渡っている。そういったところに西部劇との関連が見えます。一方で、アメリカ映画のかつての西部劇は勧善懲悪で、ネイティブアメリカンという“敵”がいて、アメリカ人が勝つ。でも、60年代以降徐々に、そうじゃないんじゃないかとなってきて、イーストウッド監督『許されざる者』では白人同士の中にも敵が出てくる。ジーン・ハックマンが演じている保安官は、元をただせばイーストウッドが『ダーティハリー』で演じていた保安官のような役。悪そうな保安官だけれども、元々イーストウッドが演じていたのはこちらじゃないかと。そう考えると、映画の中での善悪はもっと曖昧になってきている。
 ファティ・アキン監督作の系譜の中で本作が重要だと思うのは、今までも民族同士のいさかいを描いてきて、いつもは何とか仲良くなれる糸口を見つけようとしているのが感じられていたのだけれど、今回『消えた声が、その名を呼ぶ』の主人公は、まだ恨みを残していたりして、完全な善人ではないところです。

中井 圭: 明確な境界線はなくて、加害者のトルコ側でもいいやつもいれば、アルメニア側に悪いやつもいる。国境を越えていく映画でもあるので、「境界線の曖昧さ」がある種この映画のテーマなのかなと思います。


三部作最終章! ファティ・アキン監督がようやくたどりついた『消えた声が、その名を呼ぶ』

松崎健夫: ファティ・アキン監督はかなり早い段階で三部作を作ると明言していました。『愛より強く』が<愛>、『そして私たちは愛に帰る』が<死>、今回の『消えた声が、その名を呼ぶ』が<悪>です。前者2作品が力作で少し疲れてしまったんですかね(笑)、間に『ソウル・キッチン』というコメディと、岩井俊二監督なども参加しているオムニバス映画『ニューヨーク、アイラブユー』の中の一話をスー・チー主演で撮っています。そしてようやく行きついた『消えた声が、その名を呼ぶ』は、今までの作品群とは違うものを作ろうと試みているように思います。<悪>がテーマの『消えた声が、その名を呼ぶ』は、主人公が完全なる善人でない。自分が娘を探しだすことが第一目的になっていて、旅の途中で会った人に冷たくする場合もある。一方で、(敵側のトルコの)子どもに石を投げられないところなども描かれていたりして、人間には多様な心のうちがあるということが表現されている。今まで以上に世界を舞台にしているからこそ、多角的な人間性が描かれていると思います。

thecut中井 圭: 「人間とは何をもって定義されるのだろうか?」を考えさせられました。属しているものなのか、善良さなのか。作品によってどちらに依存するかが違いますが、最近は血縁関係に頼らない家族の関係性を描く作品が多かったり、何をもって人の定義を決めていくのかが曖昧になっているように思います。この作品もそういった昨今の作品群に入ってくるものだと思います。

松崎健夫: まさにそうで、それは国際映画祭でのトレンドにもなっています。究極にいきつくとこの作品のように「家族を求める」ということになるのだけれど、それをやると周りに対してどういう影響があるのか、それだけで果たしてよいのかということも、この作品は提示しているように思う。終り方は、見方によってはアメリカ映画に多い単純なハッピーエンドではない。それは、軋轢を乗り越えるためには自分の欲だけではだめなのではないかという監督の想いが込められているのではないかなと思いました。


示唆に富んだ映画! サイレント映画『キッド』の挿入。

中井 圭: 生き別れた娘たちを探すというシンプルなストーリーなのですが、示唆に富んでいるシーンが多いと思います。劇中に流れる『キッド』はどうご覧になりましたか?

thecut松崎健夫: 主人公が喉を切られて喋れないという部分で、声を発さない=サイレント映画というのと、もちろん『キッド』が親子愛を描いているので、それによって主人公が娘を探し出す原動力になるというのもあります。ただ、それだけではなく、映画は元々サイレントで台詞を伴わないものであるから、「この映画の中でも台詞なしで成立するのでは」ということに監督が挑戦しているのではないかと思いました。考えてみれば、この作品は国を越えていくので台詞がない方が便利ですよね。相手がそもそも喋れないと分かっているので、言葉が分からないというディスコミュニケーションが生じませんから。その暗示としてサイレント映画を出しているんじゃないでしょうか。

中井 圭: 『キッド』は親子の話として本作にリンクしている一方で、僕が思ったのは、チャップリンは元々ナチス・ドイツに対してのアンチがあって、アルメニアでの虐殺をヒトラーがジェノサイドの参考にしたとも言われているので、そこらへんも重ねているのではないかと思いながら観ていました。物語上さらっと見れてしまうけれど、『キッド』が流れるというだけでも三段階ぐらい意味があるような気がして、とても示唆に富んだ映画だなと思います。


国際的に評価の高いファティ・アキンだからこそ作れた力作! 自分にしか描けないことを描くことで生まれる普遍性。

松崎健夫: 『消えた声が、その名を呼ぶ』が、スコセッシをはじめアトム・エゴヤンなど世界中の巨匠たちの協力を得てできているというのは、ファティ・アキン監督の映画づくりと深く関係していると思います。今ヨーロッパでは、資金集めが難しくの面で、一国で映画をつくるのは難しいので合作が多い。日本は小さな国だけれども、一国でまかなえてしまうだけのマーケット規模がある。そうでない国は、各国と協力して海外に売ることを考えないと収支が合わない。ファティ・アキン監督は、『愛より強く』でベルリン、『そして私たちは愛に帰る』でカンヌ、『ソウル・キッチン』でヴェネチアでと国際映画祭で数々の賞を受賞していて、国際的な評価を得ていると同時に、彼の作家性が国際的によく知られていることで、各国からの協力を得られたのだと思う。世界の映画人に、この人だったら協力したいと思わせる監督ですよね。

thecut中井 圭: 「スーパーローカル」という言葉を僕はよく使うのですが、本作で描いているアルメニア人虐殺は、僕たちには描けないですよね。当事者の彼らにしか描けないことだと思うのです。トルコではタブーになっていて、トルコとアルメニア間では解決していないことですが、トルコにルーツにあるアキン監督だからこそ描けたことだと思います。スーパーローカルに描いていくと、それが普遍性に繋がる。たとえば、韓国であれば、南北の問題に真正面から向き合って描くことで普遍性のある映画が生まれたりしている。自分にしか描けないことを逃げずに描くことで力強い映画が生まれるという意味でも、本作は世界に向いていて、世界に打って出る作品だと改めて思います。

松崎健夫: 冒頭で、キリスト教徒である主人公が懺悔をしているシーンがあって、その後の旅の中で彼はある罪を犯していく。それゆえのラストでもあると考えると、より感動のレベルが高くなるし、唸ってしまいました。

中井 圭: ただの良い話ではなく、善悪の境目の曖昧さを描いているのが素晴らしいですね。映画ファンとして観ておくべき映画です。

松崎健夫: そして、ファティ・アキン監督の過去作をたどってどうやって彼がこの作品に行きついたのかを見ると理解が深まりますし、別の視点で描かれた『アララトの聖母』なども見ることで、自分の中の視点が増えてよいと思います。いずれにしても、『消えた声が、その名を呼ぶ』は、ストーリーだけでなく、もっと多くのものが含まれているのだというところをアピールしたいです。


(オフィシャル素材提供)



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