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『人生スイッチ』
オフィシャル・インタビュー

2015-07-12 更新

ダミアン・ジフロン監督


人生スイッチjinseiswitch
© 2014Kramer&Simon Films/El Deseo

ダミアン・ジフロン監督

 1975年、アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。
 ブエノスアイレスにある映画の大学で映画研究の学位を取得する。2002~2003年、TVのフィクション番組としては最高視聴率を誇り、多くの賞を受賞したシリーズ「Los Simuladores」の2シーズンで、製作、脚本、監督を務める。
 2003年、マル・デル・プラタ国際映画祭で初監督映画『The Bottom of the Sea』を発表、ラテンアメリカ映画部門のシルバー・オンブ賞と国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞を受賞する。さらにサン・セバスチャン国際映画祭でも審査員特別賞を始め、数々の賞に輝く。 2005年に脚本と監督を手掛けた『Tiempo de valientes』は批評家から絶賛され、アルゼンチンとスペイン両国で大ヒットし、国内外の賞を多数獲得する。
 2006年には、TVシリーズ「Hermanos & Detectives」の脚本と監督を担当する。2008年、製作会社ビッグ・バンを設立。今後の作品として、ラブ・ストーリー『The Perfect Couple』、SF作品『The Foreigner』、英語で撮る予定の西部劇『Little Bee』を計画している。


 驚愕&爆笑にして、第87回アカデミー賞®外国語映画賞ノミネート、第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品、『アナと雪の女王』にダブルスコアの大差をつけて、アルゼンチン史上最大ヒットを記録した超異色傑作『人生スイッチ』。名匠ペドロ・アルモドバルもその才能を認めたダミアン・ジフロン監督のインタビューが届いた。


この作品を作るに至った着想、動機についてお聞かせください。

 他の普通の脚本に着手していた時にこの脚本を書いた。初めはこれらの話をどうすれば良いか分からなかったけど、4~5作出来てきたところでこれらの作品が同じDNAから来たものだと気づいた。テーマとしてリンクしていると分かったんだ。この曲たち(1つひとつの話)は同じアルバム(1つの映画)にフィットする、一つの星座の中の星たちのようだと。そして、『人生スイッチ』という名前に思い当った時、全てがピッタリと嵌ったと感じたんだ。


怒りや、感情の暴走に身を委ねるということを、「喜び」と表現されてますが?

 人生において、逮捕されたり死にたくなければ自分自身を抑制しなくてはならない時がある。だから、喧嘩したくても出来ないときもあるね。でも、抑制していることの代償も大きい。生きていたほうが良いけれど、あれを言えば良かった、こうすれば良かった、と過去を思い悩むことになる。でも、芸術や脚本の中では抑制する必要なんてない。最後の最後まで突き進んで、その経験を変換して観客に見せればいいんだ。血や苦悩が見えても、観客は大いに笑ってくれると思うよ。抑制するのではなく、反抗することの楽しさや欲求を理解できるだろうから。


脚本執筆に際しての苦労・秘話などをお聞かせください。

 商業的にというだけではなく、芸術的にも、このような映画で成功した例がないことが1つ問題だったと言えるかな。こういう作品ではお客が呼べないと業界が思っている中で、自信を持ち続けることが難しかった。
 でも、偉大なプロデューサーに素晴らしいキャストとクルーみんなが脚本を信じてくれた。オムニバスがうまくいかない理由の一つは、エピソードごとに監督が違って、制作プロセスの中で話がうまくつながっていないからだと思う。全てのエネルギーをコントロールする人間が1人だったら、成功の確率は高くなるんじゃないかな。


アカデミー賞®外国映画賞にノミネートされましたね。

jinseiswitch すごいことだよ。アカデミー賞®は子供のころからとずっと見てきて、何がノミネートされているか、いつも楽しみだった。賞レースには納得がいかないこともあるけどね。僕たちは、誰かを倒すために映画を作っているんじゃない。誰かと対抗するためのものじゃないんだ。自分のやりたいことをやって、他の監督もやりたいようにやって、その結果、他の人たちと同じ賞を争うことになる。そのことが理解できると、選ばれるのは途轍もない名誉だし、この作品がノミネートされたのはラッキーだったと感じている。自分が愛する作品を作った業界の人たち、尊敬する人たちがノミネートしてくれたんだからね。僕の好きな映画10本の内、9本はアメリカで作られたものなんだ。その映画を作ってる人たちが自分の作品をノミネートしてくれたなんて誇りに思うよ。


各作品の順番には意図があったと思いますが、いかがですか?

 書いた順番になってるんだ。その順番を守ろうと思ったわけじゃなくて、他の順番も考えたんだけど、最終的にはこの順番にした。カンヌでこの作品を試写した時に、このままが良いと気づいたんだ。発展性があるし、バリエーションにも富んでいる。
 オープニングの飛行機のシーンは1話目にしか考えられない。最終話には成りえない。結婚式のエピソードは出演者があんなに変化して元の鞘に収まる、そんな話は最終話にしか成りえない。オーガズムのようなものだよ。終わったら、「もう一度」とは思わない。


ペドロ・アルモドバルがこの映画に関わるようになった経緯をお聞かせください。

 ペドロ・アルモドバル、弟のオーグスティン・アルモドバル、エスター・ガルシアが2005年に僕が作った映画『Tiempo de valientes』を観てくれていたんだ。K&S Filmsのプロデューサーとも関わりがあったみたいで、このアルゼンチン映画を映画館に観に行ってとても気に入ってくれたようなんだ。
 その後、オーグスティンがアルゼンチンに来た時に一緒にディナーに行った。彼は僕が次にどんなものを作ろうとしているのか聞いてきて、彼とペドロがプロデューサーになりたいと言ってくれたんだ。もちろんとてもありがたかったし、幸せだったよ。
 K&S Filmsのフーゴ・シグマンとこのプロジェクトをやると決めると、すぐにペドロとオーグスティンに脚本を送った。彼らはすぐにプロデューサーとして参加すると決めてくれたよ。
jinseiswitch 製作に関しては、ペドロは自分の会社を持っているし、好きな時に好きなものを撮れる。彼はアーティストにとって最も大事なことは自由であることだと本当に信じてるんだ。だから、彼がプロデューサーになる時には、その作品の監督のために同じ環境を作ってくれる。彼は「脚本は素晴らしかった。1つのコンマすら変えずに作るんだ。君以上にこの話を良く撮れる人なんていないんだから、君はやるべきことをやるんだ」と言ってくれたよ。
 ファースト・カットを彼に観せて、それについて語り合った。ペドロ・アルモドバルは世界的に有名な映画監督なのに、この作品がカンヌ国際映画祭に出品されることになったら、先頭に立って大使のような役割を果たしてくれた。カンヌでもたくさんの取材を受けてくれたよ。サンセバスチャンにも僕と一緒に来てくれたんだ。この作品を宣伝するために、さまざまな国に同行してくれた。彼はこの作品の偉大なるゴッドファーザー(名付け親)のような存在だよ。


(オフィシャル素材提供)


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